初期ルネサンス絵画の展開(その一) 

 初期ルネサンス絵画の展開(その一)

イントロダクション

ルネサンスの定義

古代の写実をよみがえらせる、それはキリスト以前の文化(異教)の蘇りを計る。すなわち具体的には、キリスト教の聖人(キリスト、マリア、12使徒)の表現を、中世における天上人としての扱いから、現世人として描くように改革。

ルネサンスの歴史の時代区分

  • プレ・ルネサンス 1290’s~ ジョットー
  • 初期・ルネサンス 1420’s  マザッチョ(建築はやや早くから)
  • 盛期・ルネサンス 1470’s レオナルド/ミケランジェロ/ラファエロ
  • 後期・ルネサンス 1510’s  カラバッジョ(マニエリスムの時代)

絵画ではジョットーから始まりおよそカラバッジョまで、300年ほどの期間がルネサンスと呼ばれる。

但し、ジョットーからの100年は、ジョットーを大きく改革するものが出ていない。17C以降はキリスト教美術が衰退し、聖書が主題ではなくなる。

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期・ルネサンス

フィレンツェ洗礼堂の青銅の扉装飾のコンクールが動きの始まり。

:テーマ「イサクの犠牲」(浮き彫り)ギベルディ、ブルネルスキーが 最終選考に残る。

決着は共同制作を嫌ったブルネルスキーの譲歩で、ギベルディが制作した。

 

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フィレンツェの歴史について概略

伝説によれば、皇帝ホノリウスが東ゴート族に勝利したのを記念して、元サン・サルヴェトーレ教会のあった場所にサンタ・レパラータ教会を建てたのが5世紀前半のこと。戦いに際して、レパラータが十字の旗を持って中空に現れ,皇帝ホノリウスの逆転勝利につながった。サンタ・レパラータはパレスティナ地方のカエサレア生まれで,デキウス帝に10才代で斬首された殉教者である。デキウス帝の在位が248年から251年なので,レパラータは3世紀半ばの人。1296年にサンタ・レパラータ聖堂を建て替える形で現在のドゥオーモを建設したがレパラータ教会は5世紀から中世における街の教会であった。大聖堂の地下にはレパラータ教会の遺跡が残っており、そこに聖遺物が祀られていて守護聖人の一人として信仰されている。洗礼堂は、レパラータ教会の傍に位置し、11世紀に起工し13世紀初頭に完成した。

洗礼堂が完成した後は実際にはレパラータ教会の代わりに洗礼堂が街の礼拝堂として使われていた。14世紀ドォーモの完成に伴って堂の改修を行い新たに洗礼堂とした。

14世紀を境に都市国家が力をつけ、一人の君主に権力が集中するシニョーリア制へと変わっていく。

個性的な君主(メデチ家など)が多く現れるようになり、力による血なまぐさい周辺制圧と同時に学芸の奨励に熱心に取り組む。

金や権力が先か優秀な芸術家が先かはともかく、あらゆる分野で綺羅星の如く天才が出現する。イタリア中が学芸にのめりこんでゆく。

メデチ家が率いたフィレンツェの絵画を中心にルネッサンスを学んでいく。

ギベルティ作

フィレンツェは経済面では、13世紀からトスカーナの中心地として毛織物産業で繁栄が本格的になる。羊の毛を輸入し製品化して売ることが主体であった。(銀行業はコジモ・ディ・メディチ(15世紀)から)

大聖堂の建設13Cに開始し15Cに完成(アルノ・ディ・カミヨ)鐘楼はジョットーがデザイン、

洗礼堂はヨハネを祀ることからフィレンツェの街は、ヨハネが守護聖人となる。ヨハネは.キリストを「見よ!神の子羊を!」と呼んだ最初の人である。Agnus Dei。また、洗礼者ヨハネをあらわす紋章が 「子羊」 。

1401年、洗礼堂の北側の扉の製作者公募が公告された。これはコンクール形式で製作者が選ばれた最初の例といわれている。鐘楼デザインしたのがジョットーであり、彼は13世紀末からキリストを人間として描く試みをした。

フィレンツェは、経済の発展と共に、ジョット―の後の100年の芸術の停滞を打破したい気持ちになっていた。

コンクールを主催したのは、「カリマーラ」毛織物組合(聖堂など施設の管理を受け持つ)。組合が オペラ・ディ・ドオーモ(ドーモの管理組合)を担っていた。

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1401年 洗礼堂北扉の浮き彫り彫刻コンクール 主題「イサクの犠牲」

  • 現在もフィレンツェのバルジェッロ美術館に並べて展示されている。
  •   ギベルティ                            ブルネルスキー

両者の応募作品を鑑賞し比較する

テーマの説明;「犠牲」とは、神にささげる=殺して祭壇に供える こと

アブラハムとサラの間にやっと出来たかけがえのない子を神への忠誠の証としてささげることを要請され、アブラハムが応えようとする瞬間の図。ロバで山奥へささげる場所を求めていく。羊は神により用意された。

両者の比較

ギベルディ;構成の美しさがある。右下から左上への弧(凹)を描いた斜めのライン(父アブラハムとイサクと天使と羊とロバの配置と全体の流れ)

ブルネルスキー;空間の出し方が新しい、平面芸術に奥行きを持たせた。脇役を手前に配置し観る側に目の動きを持たせる工夫がある。

イサクへの刃物の当て方、神の静止の動作等の表現にリアリティが強く感じられる。リアリティの重視・これは建築家としての発想からきている。

この奥行きとリアリティの主張がこの後の画家たちに影響し、ルネサンスの発展のきっかけになったと言われる。

ブルネルスキーの肉体表現の写実な彫像性(リアリティ)を、主要な主題である「キリストの十字架像」を観賞して、彫刻家ドナテッロと比較してみる。

   

  Crucifix  1412-13          Crucifix  1412-13
Wood, 168 x 173 cm         Polychromed wood, 170 x 170 cm
Santa Croce, Florence        Santa Maria Novella, Florence
左ドナテッロの十字架像(サンタ クローチェ教会)と右ブルネルスキーのキリストの十字架像(サンタ マリア・ノベッラ教会)とを比較 (1410代)

肉体の表現に、中世になかったリアリティが現れる。

バザーリの評論の中に曰く、ドナテッロがよりリアリティが増したものを造るも、上品さで難あり(農夫みたい)とブルネルスキーの批判(反駁)があった?

どちらもルネサンスの彫刻として重要なものである。

 

ブルネルスキーの建築設計と彫刻のリアリティ表現を、マザッチョが学び絵画の表現に応用した。そのポイントは「空間構成とリアリティ」

写真チマブーエの十字架像(サン・フランチェスコ大聖堂アッシジ)=左 とジョットー(スクロベーニ教会パドバ)=中と「三位一体」(サンタ・マリア・ノベッラ教会)=右の比較。 ポイントは3つある。

肉体の彫塑性(写実)、空間表現(線遠近法)、光の直進性(明と影)

Trinity    1425-28
Fresco, 640 x 317 cm
Santa Maria Novella, Florence

   (scheme of the perspective)

マザッチョの特徴は、

  •  人体表現が正確であること、モデルを使用したと思われる。
  •  平面の中に奥行きを作る(ブルネルスキーの考案をマザッチョが絵に応用)正確な線遠近法の採用
  •   光の表現が豊かになっている。直進性を理解した。

ピサの多翼祭壇画の中央パネルの聖母子をジョットーの聖母子と比較

 

ジョットー(右)が明暗法を用いて主体化しているのに対し、マザッチョ(左)は右上から差し込んでくる自然の光でリアリティを表現している。玉座の線遠近法表現が正確。

 

ブランカッチの礼拝堂 「貢ぎの銭」の鑑賞 (1420代)

Tribute Money    1426-27
Fresco, 255 x 598 cm
Cappella Brancacci, Santa Maria del Carmine, Florence

構成 キリストの頭部に中心を置いた遠近法、右斜めから差し込む光は実際の窓を意識している、実際にあるかのような光の使い方(イリューショニズム)

国際ゴシック様式やジョットー様式の打破を狙う、線の美しさ、色の鮮やかさが際立つ。細部に亘り一筆も疎かにしないマザッチョの集中力がうかがえる。右上から差し込んでくる自然の光を活かしてリアリティを表現。

ロレンツォ・モナコ  「謙譲の聖母子」の鑑賞

  • Madonna of Humility  1420-22
    Tempera on panel, 116 x 64 cm   Brooklyn Museum, New York

金地背景であり、玉座の奥行き感はほとんどない、イエスとマリアには後輪がある。比較すると同じ時代のマザッチョの革新が見えてくる。

 

1430代以降  マザッチョが若くして世を去って以降、 反動が現れ、またより戻しでそれを繰り返した。すなわち、リアリティの探求と装飾性(反現実主義:神への畏敬重視)との”ゆれ”がしばらく続いた。

初期ルネサンス絵画の展開(その一)を終わります。

次は、フラ アンジェリコ、ウッチェロ、カスターニョを鑑賞します。

次回(その二)に続く

 

 

KuniG について

日々見聞きする多くの事柄から自己流の取捨選択により、これまた独善的に普遍性のあると思う事柄に焦点を当てて記録してゆきたい。 当面は、イタリア ルネッサンス 絵画にテーマを絞り、絵の鑑賞とそのために伴う旅日記を記録しよう。先々には日本に戻し、仏像の鑑賞までは広げたいと思う。
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