スクロヴェーニ礼拝堂(パドバ)ジョット―の壁画装飾(1)

ジョット―の最重要作品といえるパドバのスクロヴェーニ礼拝堂の内部の壁画装飾について、前半「マリア伝」までと後半「キリスト伝」の二回に分けて観てゆく。この投稿では前半の「ヨワキム伝」と「マリア伝」を観る。   ジョット―の肖像   ジョットーの生家

ベスピニャーノ・ジョットー生家

キリスト教を主題にした絵画における中世からルネサンスへの遷り

キリスト教の公認(313)、国教化(392)が ターニングポイントで4世紀にヨーロッパは文化面で大きく変わる。

絵画は、文字を読めない人に対して聖書を伝えていくのに、聖堂の中にイラストを描くことに始まり、可視化の素材としての聖堂装飾の必要性と共に発展した。

基盤が出来る過程で、特に重要なのは5世紀から6世紀の時期である。

基盤が出来る過程とは

  • ・図像プログラム  (装飾プログラム)
  • ・図像の規範が出来た(図像伝統が生まれた)
  • ・手本の聖書 (ヒエロニムスのラテン語翻訳したもの)
  • ・様式の統一 (神とは、イエスとは、マリアとは、)規範が作られた

中世美術はこれら規範を保持していくことが基本===規範を守る==5,6世紀から13世紀頃まで 700年くらい守り続けられた。

これは 個の否定に他ならない=>>作者の個性は出ない。

かなり厳しい中での作者の個がないわけではないが、作者の名前はほとんど出てこない。 (古代は、アペリス、クラクンラレス など個の名前が出た)

ヴェネチアのサン マルコ聖堂のモザイクの製作者の名前は分からない。作者名は中世の間はほとんど記録さえされていない。個性は必要ないということであった。

13世紀半ば過ぎから少しずつ変化が出てくる。

そうした流れの中で出てきた作者がジョット-である。

スクロヴェーニ礼拝堂は、1305年に完成。

高利貸しで成功したレギナルド・スクロベーニの孝行な息子エンリコ・スクロベーニが建立。

ローマ時代の円形劇場(アレーナ)の廃墟の地域を購入したのでアレーナ礼拝堂とも言う。

パドバの街でもこの辺りはアレーナ地区といって楕円形の地形になっている。(アレーナ遺跡の壁面が所々に残っているので地形が察せられる。)

1300年頃、エンリコ・スクロベーニが土地を購入し、父の贖罪の目的で礼拝堂を建てた。 献堂式は1305年3月25日行われた。建物は5年で完成した。

ジョットが来た年と装飾が完成した年は分かっていない。1303年ごろと推定されている。2年くらいかけて1305年に内部の装飾を完成させた。

ジョットは1290年代後半にアッシジで仕事をし、1300年にはローマに呼ばれて聖年祭のためにラテラノの壁画を手掛けた。

ローマから戻ってきて、フィレンツェの仕事、オニサンテの聖母子像を完成してから、この堂、スクロヴェーニを装飾した。出来た当初から一般公開されていた。

高利貸しの利子による儲け過ぎで、同家は忌み嫌われ地獄に落ちると考えられていた。社会への還元をする慣わしのあるイタリアでは今も伝統として残る。

入り口から祭壇を見て、正面から見る全体図

礼拝堂の壁面はプレ ルネサンスの巨匠ジョットが描いたフレスコ画で埋め尽くされている。 内容はキリスト教の教義で、紙芝居のように順番にストーリーが展開される。 「ヨアキム伝」「マリア伝」「キリスト伝」寓意の「7美徳と7悪徳」である。

向って右上から40場面前後が描かれる。物語の展開は時計回りに配置されている。

右側一番奥の祭壇よりのところに「最後の晩餐」はある。ヴェネツィアのサン マルコにも「最後の晩餐」の主題がある。年代は12世紀の終わり(1170~1200)。一方、スクロヴェーニ(1300~1304)で、年代差は、120年くらいである。

変化が大きい→→→これを考えていく

ルネッサンスでも描く主題に変化はない。画家は聖書の物語をしっかり把握する。福音書が四つ、「マタイ福音書」、ルカ マルコ、ヨハネ。

天井には ブルーの星空が一面イ広がり、その中央で帯状の装飾で2分され、それぞれの中央にパントクラトールのキリストと聖母子像が描かれその周囲に4人の聖人が描かれている。

礼拝堂の壁面はプレ ルネサンスの巨匠ジョットが描いたフレスコ画で埋め尽くされている。 内容はキリスト教の教義で、紙芝居のように順番にストーリーが展開される。

大塚国際美術館には、まったく同じ大きさの礼拝堂の模型があり、壁画装飾として陶板製の模写が、本物と全く同じように飾られてある。

 

マリアの両親の物語「ヨアキム伝」、聖母マリアの物語「マリア伝」、キリスト教の教祖イエスの物語「キリスト伝」、それに最下層の寓意「7美徳と7悪徳」。時計回りで(3段+最下層1段)にわたり展開される。

この投稿でのスクロヴェーニ礼拝堂の壁画装飾の鑑賞は、前半のマリアの両親の物語「ヨアキム伝」、聖母マリアの物語「マリア伝」、までとする。

後半のキリスト教の教祖イエスの物語「キリスト伝」は次回の投稿とする。

「ヨアキム伝」の展開 

祭壇に向かって右側の最上層、祭壇側から入り口に向かって6場面で展開される。

1.神殿から追われるヨハキムヨアキム神殿追放)

ヨアキムとその妻アンナは信心深い人でしたが、永年子供がなかった。ヨハキムはナザレ出身で、アンナはベツレヘム出身。

ユダヤ人のしきたりとして三大際(カイヤ)に当たりエルサレムに羊を捧げるためにやってくる。神殿を参拝しようとしたヨアキムは、 「子供が授からないのは神の前で正しくないからだ」という理由で神殿から追放される。羊も受け容れられない。

“生めよ殖えよ”がユダヤの国是である。

建築モチーフは祭壇周辺だけの必要な部分のみを描いて追放されるヨハキムの悲しみを強調する、そのためにコントラストとして、受け容れられて祝福を受けているものもさりげなく描く(対比して見せる)ジョット―の人間性あふれる気遣いの細かいところ。

左から右への流れを見せる工夫として斜めに描く。

2.羊飼いたちのところへ身を寄せるヨハキム (ヨアキムと羊飼い)

屈辱のヨアキム。このままでは故郷ナザレには帰れない。 故郷に帰っても彼は侮辱されるばかり。

ヨアキムはアンナの元へ戻らずしばらく羊飼いの元に身を寄せる。 犬は喜んで飛びついているがヨアキムの表情は晴れない。

ヨアキムの表情がいい。ジョット―の細かいところの妙味が出ている。心理描写が深い。

この時代の犬や羊のスタイルが興味深い。

3.アンナへのお告げ(告知) 

行方知らずの旦那ヨアキムや子供が授からないことを嘆き祈っていたアンナのもとに天使が訪れ、 「あなたは身ごもり、やがて子供が産まれる。門のところであなたの夫と会えるだろう」と告げる場面。

絵には、日常の空間が簡潔な表現で描かれていて、斬新である。

 

4.供物を捧げるヨハキム

一方同じ頃、羊飼いのところでは、ヨアキムは神に祈り、犠牲として羊を祭壇上に捧げた。神が受け取ることを告げる場面。

祭壇に捧げられた羊は焼かれて骨ばかりになっている。観察による写実表現の始まりとみる。

頭上に手が現れて神が受諾の意思表示をしている。

5.ヨハキムの夢

アンナへのお告げがあったと同じころ、犠牲を捧げた後でまどろむヨアキムの夢にも天使が現れお告げが出る。

“アンナに子供が授かる。アンナも心配している。アンナがエルサレムの金門で待つ、行きなさい”

ヨアキムはエルサレムに戻る決心をする場面。

(3)と(5)と同じ頃、神の使いはアンナとヨワヒムのところへ行った。

(3)を前に持ってきた理由としては、フランシスコ修道会の「無原罪の御宿り」の考え方に起因する。

天使の動きに動的な動きが表現されて斬新、対角的に静と動を対比させている。

6.金門での出会い 

ヨアキムがエルサレムに戻ると金門の所で妻アンナが待っている。再会を抱き合って喜ぶ二人。 子供が授かったことを感謝しながら二人はエルサレムを後にする。

 金門の建築モチーフのモデルはリミニの門。一緒に迎える女性たちの表情に心理が読み取れる。

この続きが「マリア伝」。

様式上では、単に一場面で完結するのではなくて場面間のつながりを持たせるのがジョット―の特徴である。

左上層  アンナとヨアヒムの話が、見る側から見て左から右に話は展開する。

六枚の絵で一つの話が展開される、(上層は窓でスペースがとられることがないので六枚である)

全体が、二枚、三枚、一枚のグループで構成されると考える。 最後の一枚がクライマックス。

始めの一枚は、左上から右下に流れがあり、二枚目はそれを受けて左下から右上に流れる。\_/

次の三枚構成では、中の一枚の上部に神の手が描かれ、夫々三枚に神からの流れを示す。/|\  (上記の図)

The Mosaics of the Dafni Monastery -12世紀 Athens. The Daphni

 

 

右上層  マリアの話が、ここも同じように見る側から見て左から右に話は展開する。

六枚の絵で一つの話が展開される、(更に正面に続いて、受胎告知三枚、及びエリザベス訪問の計十枚構成)

こちらも、全体が、二枚、三枚、一枚でグループ構成されると考える。 六枚目の一枚がナザレに向う。

二枚:マリアの誕生と神殿奉献、建築モチーフ、内と外、左から右への流れを建築で受ける―|―|

三枚:壻候補探しと婚約相手を決める、婚約。背景が同じ、エルサレムの神殿祭壇の部分、

一枚:結婚のプロセスとして、実家のあるナザレに向かう


7 マリア誕生

ヨアキム・アンナ夫妻が待ちに待った子供が誕生する。

異時同図 複数のシーンが一枚になっているので、床で産湯を使っているのも、アンナに手渡そうとしている子もマリア。

この時代は赤ちゃんはぐるぐる巻きにする風習( 15~16世紀のイタリアの習慣)で、ジョット以外にもよく似た絵がある。 

 建築モチーフは(3)と同じ(アンナの家)二つの物語が異時同図で描きこまれている。

二つ目は、生まれたばかりの赤ん坊の目を洗っている。

1290年代(スクロヴェーニ直前)の「マリアの誕生」サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会のモザイク装飾(ピエトロ・カヴァリーニ)と比較すると変化が良く分かる。

Apsidal arch: 1. Nativity of the Virgin  1296-1300
Mosaic   Santa Maria in Trastevere, Rome

 8マリアの神殿奉献  マリアは神殿に預けられる。3歳の時のこと。ヨハキムのお告げの際に天使からあなた方の子供は神に捧げられるべきものと言われていた。エルサレムの階段は15の階段。 下にマリアを置いたら一人で階段を上っていったと伝えられている。

(8)はヨハキムが追放される場面と向き合う位置にある。人物、召使が荷物を背負った後姿で描かれている。背中が語るもの。足を一歩踏み出している。アンナ、マリア、司祭の衣が赤―白―赤の交互に配置されリズムが出ている。

アンナの体が大きく表現されて、母親の思いと優しさをデフォルメして表現している。

(マリアの婿の選定の場面3つ)

9マリアの婿選び

マリアが12歳になったとき、神のお告げにより、マリアの婿を選ぶことになり、求婚者は杖を差し出すように言われる。 この杖から芽吹いた人がマリアの夫になるという。

神殿に枝ないしは杖を捧げる求婚者たち。 ダビデの一族の 中から独身者が集められた。枝 ないしは杖を祭司に渡す場面。

並いる求婚者たちの最後尾で自信なさげに立たずむ人が、ヨセフ。こんな歳になっているのに、何で俺までが求婚者に名を連ねなければならないのかと言いたげな様子。気が進まない雰囲気が出ている。彼にだけは光輪を付けている。

10求婚者の祈り

祈祷する求婚者たち。

白い花が咲き、白い鳩が舞い降りる、杖の持ち主が婿に選ばれることになっている。

「どうか私の枝に花を…」と求婚者たちは膝まづき祈る。杖が積み上げられた祭壇の上には神の手が見える。

11マリア結婚

見事(?)ヨセフの杖に花が咲き、白い鳩が舞い降りた。ヨセフが選ばれてマリアの夫と決まり、マリアの婚約が行われる。

マリアの婚約の成立、選にもれた若者が感情をあらわにしている。こうした表情は、その後ルネッサンス絵画の人間表現に大きく影響を与えた。ペルジーノやラファエロの同主題には似た場面が更にいきいきと描かれている。

アプスの神の手はこの場面になると描いていないところなどジョット―の拘るところで気遣いがいい。

12マリアの帰宅

夫を得たマリアは神殿を出て故郷に戻ることになる。

婚礼の行列 ナザレの実家に戻ってゆく 十年振りの帰宅。神殿で一緒の祭司が先導する。友人を何人かお供につける。

家の窓には大きな葉の付いた枝がかざられている。

ここまでが十二場面が「ヨハキム伝」及び「マリア伝」

続きは次の「キリスト伝」へ。

枝を託す→→神に祈る→→婚約の 三場面が同じ建築モチーフを使っている。三枚で一つの連続したものが足りに見せようとする工夫がある。

帰宅の場面では、左から流れてゆく。次の「受胎告知」との関係をつなげたいとの意図が見える。

スクロヴェーニ礼拝堂の壁画装飾(1)を終わる。後半「キリスト伝」は次回の投稿 スクロヴェーニ礼拝堂の壁画装飾(2)になる。

スクロヴェーニ礼拝堂(パドバ)ジョット―壁画装飾(1) 了

「キリスト伝」は

スクロヴェーニ礼拝堂(パドバ)ジョット―壁画装飾(2)で見る。

KuniG について

日々見聞きする多くの事柄から自己流の取捨選択により、これまた独善的に普遍性のあると思う事柄に焦点を当てて記録してゆきたい。 当面は、イタリア ルネッサンス 絵画にテーマを絞り、絵の鑑賞とそのために伴う旅日記を記録しよう。先々には日本に戻し、仏像の鑑賞までは広げたいと思う。
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