スクロヴェーニ礼拝堂(パドバ)の壁画装飾(2)

スクロヴェーニ礼拝堂(パドバ)の壁画装飾(2)「キリスト伝」

ジョット―の最重要作品といえるパドバのスクロヴェーニ礼拝堂の内部の壁画装飾について、前「半マリア伝」までと後半「キリスト伝」の二回に分けて観てゆく。この投稿では後半の「キリスト伝」と寓意「美徳と悪徳」を観る。

キリスト教の公認(313)、国教化(392)が ターニングポイントで4世紀にヨーロッパは文化面で大きく変わる。

絵画は、文字を読めない人に対して聖書を伝えていくのに、聖堂の中にイラストを描くことに始まり、可視化の素材としての聖堂装飾の必要性と共に発展した。

基盤が出来る過程で、特に重要なのは5世紀から6世紀の時期である。基盤が出来る過程とは、

  • ・図像プログラム  (装飾プログラム)
  • ・図像の規範が出来た(図像伝統が生まれた)
  • ・手本の聖書 (ヒエロニムスのラテン語翻訳したもの)
  • ・様式の統一 (神とは、イエスとは、マリアとは、)規範が作られた

中世美術はこれら規範を保持していくことが基本===規範を守る。5,6世紀から13世紀頃まで 700年くらい守り続けられた。これは 個の否定に他ならない=>>作者の個性は出ない。かなり厳しい中での作者の個がないわけではないが、作者の名前はほとんど出てこない。(古代は、アペリス、クラクンラレス などこの名前が出た)

ヴェネチアのサン マルコ聖堂のモザイクの製作者の名前は分からない。作者名は中世の間はほとんど記録さえされていない。個性は必要ないということであった。

13世紀半ば過ぎから少しずつ変化が出てくる。

そうした流れの中で出てきた作者がジョット-である。

スクロヴェーニ礼拝堂は、1305年に完成。

高利貸しで成功したレギナルド・スクロベーニの孝行な息子エンリコ・スクロベーニが建立。

ローマ時代の円形劇場(アレーナ)の廃墟の地域を購入したのでアレーナ礼拝堂とも言う。

パドバの街でもこの辺りはアレーナ地区といって楕円形の地形になっている。(アレーナ遺跡の壁面が所々に残っているので地形が察せられる。)

1300年頃、エンリコ・スクロベーニが土地を購入し、父の贖罪の目的で礼拝堂を建てた。 献堂式は1305年3月25日行われた。5年で完成

ジョットが来た年と装飾が完成した年は分かっていない。1303年ごろと推定されている。2年くらいかけて1305年に完成させた。

ジョットは1290年代後半にアッシジで仕事をし、1300年にはローマに呼ばれて聖年祭のためにラテラノの壁画を手掛けた。

ローマから戻ってきて、フィレンツェの仕事、オニサンテの聖母子像を完成してから、この堂、スクロヴェーニを装飾した。出来た当初から一般公開されていた。

高利貸しの利子による儲け過ぎで、同家は忌み嫌われ地獄に落ちると考えられていた。社会への還元をする慣わしのあるイタリアでは今も伝統として残る。

入り口から祭壇を見て、正面から見る全体図

礼拝堂の壁面はプレ・ ルネサンスの巨匠ジョットが描いたフレスコ画で埋め尽くされている。 内容はキリスト教の教義で、紙芝居のように順番にストーリーが展開される。 「ヨアキム伝」「マリア伝」「キリスト伝」寓意の「7美徳と7悪徳」である。

向って右上から40場面前後が描かれる。物語の展開は時計回りに配置されている。

右側一番奥の祭壇よりのところに「最後の晩餐」はある。ヴェネツィアのサン マルコにも「最後の晩餐」の主題がある。年代は12世紀の終わり(1170~1200)。一方、スクロヴェーニ(1300~1304)で、年代差は、120年くらいである。

変化が大きい→→→これを考えていく

ルネッサンスでも描く主題に変化はない。画家は聖書の物語をしっかり把握する。福音書が四つ、「マタイ福音書」、ルカ マルコ、ヨハネ。

天井には ブルーの星空の中央にアニスデイと4福音書のそれぞれの象徴が描かれている。

礼拝堂の壁面はプレ ルネサンスの巨匠ジョットが描いたフレスコ画で埋め尽くされている。 内容はキリスト教の教義で、紙芝居のように順番にストーリーが展開される。

 

 

マリアの両親の物語「ヨアキム伝」、聖母マリアの物語「マリア伝」、キリスト教の教祖イエスの物語「キリスト伝」、それに最下層の寓意「7美徳と7悪徳」。時計回りで(3段+最下層1段)にわたり展開される。

この投稿でのスクロヴェーニ礼拝堂の壁画装飾の鑑賞は、後半のキリスト教の教祖イエスの物語「キリスト伝」を鑑賞する。
 

「キリスト伝」は、第14,15場面の受胎告知から展開する。位置上では、第2層(中の層)正面が第16場面、右奥祭壇側第17場面から入り口へ向かって展開し、コの字に回って左祭壇側最奥第27場面、第28場面は正面、そこから下の層第29場面に来てもう一回りして第39場面まで展開する。

第13場面 神が大天使ガブリエルを聖母マリアのもとへ送り出す絵

No. 13 God Sends Gabriel to the Virgin  1306
Fresco, 230 x 690 cm  Cappella Scrovegni (Arena Chapel), Padua

アルコ トリオンファーレ 「凱旋アーチ」の絵。第13番はどちらの福音書にも出てこない。「凱旋アーチ」の絵は、ジョットの考えたことで、ガブリエルとマリアの図像だけでは構図にならないと考えた。

神の存在へのイマジネーションを膨らませてこのアーチ内の図像を創出された。上部は保存の状態が良くない。

神の像は「板絵」である。開閉式のドアになっている。

  • 献堂式 1305年3月25日  (受胎告知の祝日)
  • 第14,15 受胎告知から「キリスト伝」が始まる。引用は
    • 16,17,19,20 マタイ伝
    • 14,15,16,18、  ルカ伝
  • 受胎告知を祭壇正面の位置に配置した。

主題の受胎告知について

天使がマリアのもとに訪れ、キリストを身ごもった事を告げる。

この絵は祭壇側に神と天使たち、左下に神のお告げを伝える天使ガブリエル、右下にそれを受ける聖母マリアが配されている。

(二つに絵を並べて(近づけて)見る。

(話の展開) ルカ伝  第1章 26~38節より

1.ガブリエル 「主があなたと共にいる」

マリアが戸惑う

2.ガブリエル 「マリアよおめでとう、あなたは身籠って男の子を産む」

マリアは反論する

「そんなはずがありません。私は男の人を知りませんから。」

3.ガブリエル 「聖なる神には不可能なことは一つもない。」

マリア   「私は神の端女です。あなたのお言葉のように私におきますように」祈る

マリはが受け容れる

画家たちが3段階のどの部分を描くか。ジョットは受け容れの場面を絵にした。後の画家たちに続く。モナコ、アンジェリコなど。

 

上記5つの絵が連携している

画家たちが3段階のどの部分を描くか。

ダフニの修道院 モザイク の 受胎告知 は 第1段階

フィレンツェ

コッポ デ マルコバルド以前は、ビザンツィンの図像を踏襲する。ウフィチのビザンツィン「聖母子」の下部に 受胎告知

ジョットと同じ時代 ローマ サンタ マリア イン トラステヴェレ聖堂 アプスのモザイク ピエトロ・カヴァリーニ 1291年

やはり、 第1段階の図像  戸惑いの様子が表現されている。 

ジョットの受胎告知は、3段階目の図像  ガブリエルの言葉を受け容れた姿を描いた。

神の姿、玉座はオニサンテの聖母に近い。

マリアの背景に、左上から右下に向かって細い線が斜めに多く描かれるが、これは聖霊を象徴している。

建築モチーフのリアリティがしっかりとしている。カヴァリーニと比較するとビザンティンからの変革が理解しやすい。

マリアは、イザヤ書(旧約の預言書)を読んでいたところであった。部屋の内と外を区別するカーテンを配置。柱にはバルコニーなどを入れて奥行きを出している。

三次元的な空間が上手く作られている。現実性が良く出ている。光臨の向きなども実態を表現している。

最上部 神がガブリエルを使わす、正面 受胎告知 上層両側、受胎告知のガブリエルとマリアを夫々配置し、マリアの下、中層に、エリザベス訪問を配置し、中層右側の キリストの物語へと繋げていく。

凱旋アーチを一つの画面として見る際の各々の意味と関係について考える。

このスクロヴェーニでは、「ユダの裏切り」と「エリザベス訪問」が同じ構成をとっている。キーワードは「生む」、しかも、自然の理に反する生みだし方、すなわち金を生む、処女が子を生む。

七つの大罪の一つ”強欲“の罪

コントラハッチャードの「最後の審判」の天国と地獄に夫々対応している。

信者は、説教を十分に聞いて感情移入された後に、外に出ようとするとそこに最後の審判の絵が厭が負うにも目に入る仕組み。たたみ掛けるように感情移入される仕掛け。

16 マリアのエリザベスの訪問

受胎告知の後、マリアは従妹のエリサベツを訪ねる。 エリサベツも妊娠中で産まれてくる子が洗礼者ヨハネ。 ヨハネはイエスより6ヶ月早く生まれる。エリザベスはやや年齢が上の女性として表現されている。

マリアとエリザベスのぶつかり合いの構図で、マリアを上位において、ヨハネとキリストの関係を暗示している。

マリアの赤色の衣とエリザベスの黄色の衣装が目立つ色彩になっている。

顔の表情や髪の様子なども丁寧にしっかりと仕上げている。マリアの髪型は三編みで光臨もしっかり盛り上げる工夫がされている。

左側の2段目は間に窓が存在するために5つの場面となる。

17 キリストの降誕

ナザレ:住んでいた所  ベツレヘム:ヨゼフの故郷(ダビデの生まれたところ) エルサレム

ヤコブの原福音書

偽マタイ伝    洞窟の中で生まれて3日後に厩に移る。羊飼いたちのお告げについては、どちらかの福音書。ユダヤの王となるものが生まれた。礼拝しなさい。

ホシオスルーカス修道院 マギの礼拝 誕生は洞窟の中、羊飼いの礼拝も含まれる。

ダフニ修道院 (100年後) 洞窟の中 羊飼いもいる。

カヴァリーニの図像は ビザンツィンの図像を引き継いでいる。

(ルカ、マタイ、ヤコブ、偽マタイの中から取り出している。)

伝統に従っていて、新しい創造が少ない。

ジョットは洞窟から3日後に厩に移った後の姿をイメージして描く。

主役の精神的な結びつき、すなわち人間マリアと人間キリストを良く考えてそれを図像に表した。

息子の誕生というのにヨセフはずいぶん浮かぬ目つきである。こういう表現もジョットらしいところ。

 

母子がしっかりと見詰め合っている、その視線の交流がリアルに表現されている。

生まれたばかりということを考えると少し変だが、普段から「母子の心の交流」をよく観察した上で、それを表現しようとしている。

ジョットの描く横顔には、類い稀な「品」が漂う。

18 東方三博士の礼拝

東方三博士がキリストを拝みにはるばるやって来て、黄金・乳薬・没薬を捧げる。 それぞれ(王)権・聖・死(受難)を表し、イエスの生涯を象徴している。

三博士が目印にした星が頭上に輝き、天使も当然のように傍らに控えている。

マタイの福音書によると、三博士は星に導かれた。東方とはペルシャのこと(占星術が発達していた)。

1303年にイタリアにハレー彗星が見られた。ジョットはそれを絵に組み込んだ。

エルサレムに来てヘロデ王に聞く。ヘロデが周りに聞く。ダビデの子孫と同じ所とはベツレヘムであろう。

博士というよりは王として表している。(王冠など)

三つの土産を持参した。 金/乳香/モツ薬(死ぬときの薬)

三人の名前  カスパール、バルタサール、メルキオール の三人

7世紀 イギリスの神学者 三つの土産の象徴するもの。

  • 金  =王の象徴
  • 乳香 =神秘性の象徴
  • もつ薬=イエスの死の象徴

絵と絵の間の連結性がジョットは良い。

19 神殿奉献

主題 子供は神にささげる  モーセ「民数記」 による。

浄化するために夫婦は献物をする、羊か鳩を献る。それにしたがってシメオン祭司のいる神殿に詣でる。

シメオンという祭司は年老いていた。救世主を見るまでは死ぬことが出来ない。キリストを見たとき、ユダヤの救世主であることを悟った。

これで私も神に召してもらえる。それをそばで聴いた預言者(アンナ)がエルサレム中に広める。

この主題の登場人物は五人だが、さらに一人を描がいている。

イエスもモーゼの定めたユダヤ教の儀礼にということを示している。

それよりも重要なことは、シメオンが救世主の出現に気づいたということ。

尚、参考までに、 カヴァリーニは、チボリュームの三次元的な表現で様式的にジョットに先行している。

20エジプトへの逃避

ヘロデ王が幼い救世主を殺害しようとしている…というお告げを聞いて一家は急ぎエジプトへ避難する。 心配そうなヨセフに対し聖母マリアは威厳に満ちた顔でしっかりと姿勢を正している。

天使もちょっと心配そうにきっちり脇をガードしている。

何でエジプトに行ったのか聖書には書かれていない。

岩の描き方がきちんとしていて3次元空間を作り出している。

21 嬰児虐殺

一家が逃げたのも知らず、ヘロデ王はベツレヘム近辺の嬰児の殺害を命じる。 最もむごい場面(2歳以下の子供を皆殺し)で、わが子を取り上げられ殺された母親たちの嘆きが伝わってくる。母の悲しみが表現されている

残虐さと悲しみとを対比して浮かび上がらせる。

上に王が居て命令している。その通りに冷たく実行する人達がいる一方で、それを嫌がる表情の人達を描きいれる。

22 博士たちと議論するキリスト

ナザレの町に住んでいた。イエスが12歳のとき過ぎ越しの祭りにヨセフの一族はエルサレムに行く。ソロモンの神殿辺りでイエスを見失う。ところが、イエスがサンヘドリンで律法学者達と一緒に居て、学者たちと意見をたたかわせている所を発見される。

マリアとヨセフが心配して訊ねるとイエスは言い返す。イエスは「私が父の家にいることをご存じなかったのですか?」と逆に問いかける。

何を言いますか?ここは私の家である。==自分が神の子である、という意味。

23 キリストの洗礼

成人したイエスは親戚の洗礼者ヨハネからヨルダン川で洗礼を受ける。

その時、空から精霊が現れて「あなたは私の愛する子、心にかなうものである」という声が下りてくる。
ヨハネは現体制から変革して新しい時代に入ることを悟り、人間は罪を自覚して、その罪を償う必要がある。その証として洗礼を受けなければならない、とした。

自分は先駆者のために、道を整えている役割の者との自覚が出来ている人。

洗礼における意味。

神の声 私の愛する私の子であるあなたは私の思いに適うものである。

神の顕現 公現(ラテン語:エビファーニャ)

伝統図像では、 ホシオス、ダフニ 修道院のモザイク

水の表現はその図像に添っていて、 平面的。

24 カナの婚礼  供食の奇蹟

婚礼に招かれたイエス一行。途中でワインが足りなくなった。 それを告げられたイエスは水がめに水を入れて運ぶように命じる。 その通りにすると、水がめの水はいつしかおいしいワインになっていた…

いくつかあるキリストの奇跡の中の一つのエピソード。

25 ラザロの蘇生

奇跡 治癒の奇跡

:知り合いの姉妹(ベタニアのマルタ・マリア)の弟ラザロが亡くなったと聞かされたイエス。嘆き悲しんだ後「ラザロよ、出てきなさい」と呼ばわると、ラザロが生きかえった!死後数日たっていたので鼻を覆っている人もいる。

「過ぎ越しの祭り」が近づいてきてエルサレムの人々が集まってくる。イエスがエルサレムにやってくる。  パリサイ人は イエスを亡き者にする機会ととらえる。イエスはそのことを充分に承知した上でエルサレムに入る。

26 エレサレム入城 イエスはロバ(メス)に乗っている。もう一頭子供のロバが居る。エルサレムの人達が出てきて歓迎する。棕櫚の木がある。二つのグループ

左 イエスたち      右 エルサレムの人達  棕櫚の木の上の人が二つのグループを繋いでいる。

イエスはエルサレムの近くでメスのロバと子供のロバを調達。何故ロバで入るのか?ザカリヤ書に救世主はメスのロバに乗ってやってくる。旧約の預言書を実現するためにロバに乗る。

民衆は「ホサナ」と叫んで迎えた。背の低い者が木の上に登って迎えた

様式的には、 サン マルコ聖堂(120年前)同主題のモザイクと比較すると理解しやすい

ピエトロ カヴァリーニまでは ビザンツ様式であり、ジョットが革新的に変化させた。

ビザンツ:

金地背景、地面を線で描く程度、象徴的な表現である。エルサレムの街の風景は記号的に表現されている。

ジョットは:

写実性が格段に進んでいる。中世の表現は写実する(自然に表現する)よりは分かりやすくすることが大切で、説明的な表現をとる。

中世の群像表現では象徴的に表現される

正面を向いている必要があり(3/4面観もあるが)、それに対して

ジョットは画面上で視線を交錯させるように表現した。ジョットには創意があり、伝統を破った。

イエスがエルサレムへ入城すると、群集は熱狂的にイエスを迎え「ホサナ!」と叫んだ。 人々はこぞって衣服を脱いでイエスの行き先に敷き詰め、薫り高い木の枝を折り取って供えた。

慌てて上着を脱ごうとしている子供を描くなどよく観察されている状況表現である。

27 神殿から商人を追い払うキリスト 

牛を買ったり、羊や鳩を売ったりしている両替商が居た。犠牲にささげる動物は、その人物が持っているもので一番良いものを神に献げる。それが、エルサレムでは形式的に献げる風潮になっていた。

特に両替商(=高利貸し)を批判した。[使徒言行録]

形式上でしか守られていない律法主義者の批判を意味している。

エンリコ スクロヴェーニは高利貸しで富を築いた。理に反する行為で地獄に堕ちる。クロヴェーニ家としてはデリケートな主題である。

(これで左側 6場面を終わる)

中層  二場面   二場面    二場面   の構成

凱旋アーチの様子、 その向きの先、上層は受胎告知

エルサレムの神殿は神聖な祈りの場ではなく、両替商や家畜売りの市場となっていました。 「わたしの父の家を商売の家とするな」 とイエスは商人や家畜を追い出し、両替人の机をひっくり返して金を撒き散らしました。

弟子も手出しをせず遠巻きに眺めている。

画面の右端では「あいつを何とかしないといかんな…」と祭司が画策中?と思われる表情。

28 ユダの裏切り 神殿でイエスが説教をして入る際にユダに悪魔が入り込む。ユダはパリサイ人に銀貨30枚で情報を売る。キリストはオリーブ山で祈るからその際に逮捕するのが良いという。

神殿の中にいるパリサイ人とユダの裏切りを交渉中のパリサイ人(高位聖職者)は、三人で同じ服装をしてリンクしている。

凱旋アーチを一つの画面として見る際の各々の意味と関係について考える。

このスクロヴェーニで、「ユダの裏切り」と「エリザベス訪問」が同じ構成をとっている。

キーワードは「生む」、しかも、自然の理に反する生みだし方、すなわち金を生む、処女が子を生む。

七つの大罪の一つ”強欲“の罪

コントラハッチャードの「最後の審判」の天国と地獄に夫々対応している。

12使途のひとりユダがイエスをユダヤの祭司に売り渡した。

銀貨30枚という価格は今まで従っていた人を裏切る対価として大きかったか小さかったか… 後の悪魔が背中を押しいる。

29 「最後の晩餐」 入り口から祭壇を見て、正面から見る全体図

向って右上から40場面前後が描かれる。物語の展開は時計回りに配置されている

右側一番奥の祭壇よりのところに「最後の晩餐」はある。

福音書が四つ  ヨハネ(詳しい)、 ルカ  「マタイ福音書」  26章21節~28節

裏切り/弟子の問いかけ・イエスの答え/裏切りへの批判/ユダの応答/

パンの称揚とその意味/盃への感謝/ワインの意味

元元は[過ぎ越しの祭りを祝う食事]=牛の肉を焼いて食べる習慣。パンとワインの聖餐式に様子を変えて描いている。 ミサの際の主目的は 聖餐式(カトリック)

一軒家を借りて祝う。聖書では一人一人の足を洗ってやることが記述されている。この順番も逆になっているのはなぜか? 最後の晩餐には、二つの意味がある、

  • ・裏切り者の告発
  • ・弟子たちに遺言する(血と肉) =聖餐式

「私と同じ鉢に手を入れているものが私を裏切る…」

パンを祝福して、「私の身体である」 盃へ感謝の言葉を述べた後、「私の血である」

ヴェネツィアのサン マルコにも「最後の晩餐」の主題があるが、年代が12世紀の終わり(1170~1200)、スクロヴェーニ(1300~1304)であり、年代差は、120年くらいである。

変化が大きい→→→ルネッサンスへの序章がここにある。

ルネッサンスでも描く主題に変化はない。画家は聖書の物語をしっかり地震で把握した上で。人間のわざとして描こうとするところに精神文化上の大きな変化が生まれている。

30 弟子の洗足  弟子の足を洗うキリスト

最後の晩餐の前か後か、イエスは弟子たちの足を洗い、布で拭き始めた。 深い愛と謙譲を表す行為だが、師によるそんな行為に弟子は驚きの表情。 師のたってのことに従う弟子たち、反応は複雑で様々。

31 キリストの逮捕

スクロヴェーニには「オリーブ山の祈り」は描かれていない

オリーブ山に祈った際イエスは出来ればこの杯を渡してほしくない、と言う。

3回目に天使が勇気付けた。神から天使を通じて一度死ななければならないと伝える。

ペテロは兵士の耳を切る。イエスはパウロを制止する。そして奇蹟で耳を直してやる。表現としては少し古い様式・・・説明的なところが残っている、後方の人の群れの表現にそれが見える。

サンヘドリンの大祭司達がその場に居たかどうかは聖書には書いていない部分。年輩の髯を生やした人達(右端)は27神殿から商人を追い払うキリストの 赤マントの人物が似ている。

キリストとユダの頭の向きに注意  サン マルコのモザイクでは、ユダは横向きの顔。中世では顔の向きで聖悪の区別をつける。また、主役の身体の輪郭線が他によって切り取られないようにする。

ジョットはイエスを完全に覆っている。顔も横向きである。伝統的な様式よりも二人のぶつかり合いを写実的に表現しようとしている。ジョットの新しい創作である。

何故逮捕されなければならないのか?  当時のイスラエルの状況はローマ帝国の統治下にあった。ローマは総督をイスラエルに送り管理していた。ピラトは、当時の総督で、ローマから派遣されたイスラエル駐在員のような立場。ヘロデ王は、政治的にはピラトの傀儡政権であった。

ヘロデの死後ヘロデの息子達が分割統治した。サンヘドリン(最高法院)が民族を支配していた。サンヘドリン(最高法院)::ユダヤ教の最高機関である。律法主義:律法は神から遣わされたもの。パリサイ派が最高法院を支配していた。

大司祭が選出された。アンナスとカヤパの二人 (ヨハネ伝)

キリストは逮捕された後アンナスのところに連れて行かれた。それからカヤパの所に連れて行かれた。

カヤパはローマの総督に相談する必要があった。勝手には処刑できないローマのルールであった。

しかし、ピラトはあまり関心がないので一度は戻す。再度調べても処分の理由が見つからない。

ピラトの役割 イスラエルを平穏に治めること。イエスはエルサレムに入城してまず、パリサイ人達を攻撃する。偽善者達であると決め付ける。人は弱いものでありこういう人達こそ救われるべきと説いた。

ピラトにとっては、パリサイ人が感じているほど敵意はない、民衆を治める力に対しては不安を覚えている程度であった。パリサイ派は人を金で買収してイエスを捕らえようとしていた。

パリサイ人がやってきてピラトが処刑しなければ暴動を起こすと圧力をかける。

ピラトはパリサイ人に処分を任せることになる。

 

キリストの受難と復活

受難=パッションは、エレサレム入城から始まる。

何故エルサレムに来たことが受難なのか

エルサレムは拠点であるーーユダヤ教の中心地、ヘロデ王が支配するユダヤ教の町。高い位の聖職者たち=パリサイ人すなわち律法学者たちが、居るところ。

イエスはパリサイ派を批判する。彼らは偽善者である。モーセの律法を守ることが重要である。――律法主義

イエスの批判は律法の中味を批判するのではなくその運営のやり方を批判するのだ。

世の中には守れない弱い人達が多く居る。これらを救うのが神の愛である。こういうことこそ大切にしなければならない。

律法学者たちがやっていることは、形式上の守りであり、したがって偽善者である。

パリサイ人はイエスを危険な人物であるとした。彼らにとって厄介者である。

説教と奇蹟によって人々に慕われていく。イエスはキリスト(救世主)である。

「過ぎ越しの祭り」が近づいてきてエルサレムの人々が集まってくる。イエスがエルサレムにやってくる。  パリサイ人は イエスを亡き者にする機会ととらえる。イエスはそのことを充分に承知した上でエルサレムに入る。

32 カヤパの前のイエス

ローマは総督をイスラエルに送り管理していた。ローマ帝国の統治下にあった。ピラトは、当時の総督で、ローマから派遣されたイスラエル駐在員のような立場。

大司祭が選出された。アンナスとカヤパの二人 (ヨハネ伝)

キリストは逮捕された後アンナスのところに連れて行かれた。それからカヤパの所に連れて行かれた。

大祭司カヤパの前に引き出されたイエス。自分が救世主キリストだと宣言すると、 カヤパは激昂して服を引き裂き、後の兵士も平手打ちしようと腕を振り上げました。

カヤパは胸を広げて怒りを表現、その人の右手は偉い人。アンナスはカヤパの義理の父。建築モチーフがしっかりしている。

左からの連続性を感じる画面の作り方。左が開放されていて、人の群れが右へ向かう表現

33 嘲弄されるキリスト

ローマ総督の家、描き別けられる建築モチーフ。キリストが嘲弄され、鞭打ちされる。

死刑が確定したイエス。兵士に引き渡されると人々はイエスに荊の冠と王の服を着せて嘲笑した。

鞭打たれてぼろぼろになっているようなイエスの絵に比べるとこの絵は静的な辱めで… 陰湿な苛めという感じ。

右壁下層全体の構成

二場面    一場面     二場面    で構成される

○ ○    →△←    →○ ○←

最後の6場面 左下層  左側保存が悪いため、状態が良くない。

34 ゴルゴダへ向うキリスト  イエスがゴルゴダの丘に向う

磔刑の決まった罪人は十字架を背負わされてゴルゴタの丘へ向かう。

聖母マリアの呼びかけに思わず立ち止まり振り返るイエス。無常にも兵士にさえぎられるマリア。親子の一瞬の接点。

ビザンツィンではキリスト自身が十字架を持たない。三つの福音書はギリシャ人の話。

一つの福音書だけイエスが十字架を持つ。

ジョット以降、イエスが十字架を持ってゴルゴダに向う。

ジョットは自分の考えで700年の伝統を変えてしまう。そこが凄さである。十字架を背負うキリストもその一つ。

マリアを入れている。悲しげな表情で視線を送る。兵士が止めている、ここに人間的なドラマを入れた。

流は左から右へ 地面を見ると右で少しだけ上に登る。右端はフレームが切り取られて次の絵へ繋ぐ。城内は“入城”の絵と同じにしてある。

35キリストの磔刑

十字架で命を落としたイエスの周りで天使が嘆き悲しんでいる。 マグダラのマリアはイエスの足にすがりつき、聖母マリアは気を失い倒れこもうとしている。 右側では浅ましくも衣服を取り合う兵士の姿がある。

マリアの失神する姿が新しい表現

イエスは十字架上で言う、「マリアはヨハネを子供と思い、ヨハネはマリアを母と思いなさい」

ロンギヌスが光臨をつけている。イエスは本当に「神の子」だと悟った人。

イエスが裸の表現は新しい彫像性。

十字架の上には罪状の「IESVS NAZARENVS REX IVDAEORVM(ユダヤ王・ナザレのイエス)」とあり、 略して[INRI]と書いてある場合が多い。

36 キリストの埋葬   <==>  ピエタ 哀悼

キリストを墓に収める前にゆかりの人たちがイエスの死を悲しんでいる。上空では天使たちも悲しみ、 人間的な感情を豊かに表現している。

ヨハネが手を広げて悲しみを表現する。誰だか分からない人を二人画面に(後ろ向きに)置かれている。これは何のためか?空間を広げる効果。この二人を描き入れることで主役を中心に円形の3次元空間を作る。

感情表現==>マリアとキリストの表現が、降誕の場面と似ている。思い起こさせる。

天使たちの表現は磔刑から引き継いでいる。

樫の木は、キリストの死を表している。

哀悼

キリストを墓に収める前にゆかりの人たちがイエスの死を悲しんでいる。見ているほうも悲しくなる。

37 キリストの復活 と 我に触れるな(ノリ・メ・タンゲレ)

木の上部が塗りつぶされている。葉が繁っている図かもしれない。3日後に墓参りをするとイエスは居らず、若者が居て、イエスはもうここには居ないと言う。

[我に触れるな!]の場面も同図に入れた。

イエスの墓の前で嘆いていたマグダラのマリア。彼女の前に復活したイエスが現れる。 驚きイエスに触れようとしたマリアにイエスは「父の前に昇っていないから」と制する場面。

イエスは仰せになった。「わたしに縋り付くのはよしなさい。わたしは、まだ父のもとに上っていないのだ。わたしの兄弟たちのところに行ってこう伝えなさい。『わたしの父であり、あなたたちの父でもある方、また、わたしの神であり、あなたたちの神でもある方ものとへ、わたしは上って行く』」と。

マグダラのマリアは弟子たちのところに行って、「わたしは主を見ました」と言い、主から言われたことを弟子たちに告げた。

ヨハネによる福音書20章11−18節

38 キリストの昇天

復活したイエスは弟子たちの前に現れ、その後彼らの前で昇天。

昇天の表現は画家の想像力で色々になるが、こちらのイエスは雲に乗って颯爽と飛び上がっている。

正方形の構図は新しい。ビザンツィン は、丸いクーポラに入れる。

トゥールーズのロマネスクの浮き彫り彫刻にある。ロマネスクの図像伝統をそのまま遣っている。

39精霊降臨

イエス昇天の後、神殿で皆が相談している時、聖霊が降りる。

突然天から舌のようなものが降りてきて、 一人一人の上に止まり、弟子たちは精霊に満たされて色々な言葉でいっせいに話せるようになった。師を失い意志が定まらなかった弟子たちもここから心を入れかえてそれぞれ異国異教徒のいる地域に行き伝道に励む事になる。

キリスト伝はここまで。

 

コントラハッチャードの「最後の審判」の天国と地獄に夫々対応している。

サンタ チチリア イン トラステヴェレ の最後の審判 カヴァリーニ

「最後の審判」  P.カヴァリーニ 1293年

教会のコントラハッチャードに描かれる。その部分が2階の床で仕切られて、教会内部からは直には見ることが出来ない。

改めて横の建物からその2階部分に回り道して上がる。10:00に開館、前庭で少し時間をつぶす。

年配の修道女がお土産を販売している狭い廊下を通り、エレベータで2階に上がり教会のコントラハッチャードに辿り着く。

壁画は中央の層だけが残った。フレスコを間近で見られるので迫力がある。 斬新な図像に驚く。

審判長であるキリストが中央で玉座に座る。磔の際の五つの傷痕をあらわに見せている。周りに天使、左にマリア、右にヨハネ。

横に12使徒が並ぶ。それぞれがアトリビューションを持っている。ペテロが鍵、パウロは剣。

人体表現で進んだ様式を見せている。人物像は顔の表情が豊かで、座っている衣の下の膝などの肉体表現に写実性がある。衣の襞もリアリティが高い。

キリストと12使途の下の部分には左に(キリストの右)天国にいける人、右に(キリストの左)地獄へ落ちる人が描かれる。ラッパを吹く天使。

天子の羽の表現は中世の鱗状でカラフルのまま。ジョットのスクロヴェーニのようではない。

パドバのコントロハッチャータの「最後の審判」と比較して非常に近い様式。10年ほど前に描いたものである。

近くのシルベストロ祈祷所のフレスコより50年程後の様式。 比較が出来て、その間の変化が見えてとても面白い。

 

 

最後に壁面を概観した装飾の全体像を見てみる。

Scenes with decorative bands 1304-06
Fresco  Cappella Scrovegni (Arena Chapel), Padua

6場面の壁面上の配置。上の二つがマリア伝から、中層と下層の合わせて4場面がキリスト伝から、北側の壁面には窓がないので横に6場面が配置されている。南側は窓を取っているのでそれを避けつつ5場面が配置される。各場面を仕切る帯状の装飾の主題は旧約聖書からのいくつかの物語と聖人や預言者の胸像が描かれているが、弟子たちの手になるものと思われるが、中にはとても質の高いものもありジョット自身も参加したと思われる。

絵と絵を仕切る帯状の装飾について

6場面の中央の装飾は旧約から「アダムの創造」、同じく下の左の装飾は「クジラに呑み込まれたヨナ」を描いている、他にも「割礼」や「岩から水を出すモーゼ」「シナイ山で十戒の石板を授かるモーゼ」等々。

左は南側の壁面装飾の様子    右は北側の壁面装飾の様子

天井の装飾について半円筒状になっていて一面に星が描かれている。装飾的に中央で帯で仕切りを付けて、片方祭壇側には中央にパントクラトールのキリスト像がトンドの枠に、それを囲んで洗礼者ヨハネの像と3人の預言者、入り口側の中央には同じくトンドの枠で聖母子像とそれを囲む4人の聖人が描かれる。

Vault  1303-06 Fresco  Cappella Scrovegni (Arena Chapel), Padua

キリスト伝の連作第38場面「キリストの昇天」の昇天するキリストがさしのべる手の先に天井の中央大きなトンドに描かれた「パントクラトールのキリスト像」がある。真下には聖霊降臨の絵である。ジョット―は連作を制作するにあたって、場面内の構造のみならず、周囲の複数の場面間の連なりにも気を使っている。

壁面の展開図

スクロヴェーニ 礼拝堂(パドバ)壁面展開の図
祭壇に向かって右側だけに窓がある。4層からなるが最下層に七徳七悪徳の絵がある。

 

祭壇に向かって左側の展開図(窓がない)

スクロヴェーニ 礼拝堂(パドバ)ジョットの壁画装飾(2) 了

 

KuniG について

日々見聞きする多くの事柄から自己流の取捨選択により、これまた独善的に普遍性のあると思う事柄に焦点を当てて記録してゆきたい。 当面は、イタリア ルネッサンス 絵画にテーマを絞り、絵の鑑賞とそのために伴う旅日記を記録しよう。先々には日本に戻し、仏像の鑑賞までは広げたいと思う。
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