システィーナ礼拝堂の側壁画の鑑賞 

 

 システーナ礼拝堂「Cappella Sistina」

側壁画の連作 

「モーゼ伝」と「キリスト伝」(のタイポロジー)を詳しく鑑賞する。システーナ礼拝堂の装飾といえば、ミケランジェロの描いた「天井画」とその後に描いた正面の祭壇画「最後の審判」がよく知られているが、実は、礼拝堂の両側の中層の壁面には、ミケランジェロが描く前の15世紀のフィレンツェの画家たちにより製作された連作の壁画がある。この投稿ではその壁画について鑑賞する。観光に行っても天井画と正面の「最後の審判」に気を取られて(魅了されて)側壁画は見過ごしてしまうことも多いと思う。内容を知ってから行くととても内容豊かで興味を引く。

現在の内部概観 祭壇側 正面にミケランジェロの「最後の審判」 

祭壇側から出入り口の方を見た図 

15世紀(1482年頃)の内部復元図(ミケランジェロが天井を装飾する以前の姿)

天井は金色の星を一面にちりばめた鮮やかな青一色の塗装であったという。床面は、大理石と色石が使用されたコスマテスク様式 の飾り石張りである。高さ20mの建物の側壁は3層になっていて下層は金銀で布目を描きこんだフレスコ、中層がこの投稿でのテーマである連作(両側でのタイポロジー)のフレスコ画装飾、上層は更に2段になっていて上層下部は室内に光を調和して取り入れる細長い窓があり、窓を挟んで歴代教皇の等身大肖像が描かれている、最上部のルネッタは装飾がない。

システィーナ礼拝堂で最初のミサが執り行われたのは1483年8月9日である。このミサは聖母被昇天に捧げられた。

現在の内部写真 

 

システーナ礼拝堂 側壁の壁画

側壁の連作(Cycle)=(聖書/神話の物語を連続して描く)

La Cappella Sistina (Sistina とは Sist の形容詞)

シスト4世(あるいはシクストース4世)・・ 在位1471~1484

システーナ礼拝堂の概略年表

壁画制作の期間

  • 1480頃礼拝堂の建物は完成した。
  • 壁画の契約1481~82 (実際1480~1482頃・・多少早くから準備し、かつ遅れが出た)
  • 献堂式は1483年8月9日に執り行われた。聖母被昇天に捧げる。

フィレンツェの画家により壁画が描かれた背景

1478:パッツィ家の陰謀事件   に関係する・・この事件と壁画制作との関係について

パッツィ家による対メディチ家への反乱事件で、ロレンツォが怪我をしたがその場から逃れることができたが、一緒にいた弟のジュリアーノが死んだ。

メディチ家は報復として、パッツィ家の人たちを処刑し、徹底的に制圧した。パッツィ家の裏で操っていたのは教皇庁であったといわれる。

シスト4世の出身家門閥であるローヴレ家とメディチ家は領地が隣接。ローヴレ家は、北側に位置するフィレンツェを吸収しようと考え、対フィレンツェの姿勢を強めていた。メディチ家が持っていた教皇領の徴税権をシスト4世がローブレ家に奪い取ろうとしたともいわれている。フィレンツェ内でメディチ家のライバルであるパッツィ家をけしかけてロレンツォ等を滅ぼそうとした。

  • `78フィレンツェ対教皇庁(=メディチ家対シスト4世)の争いが始まる。
  • `80頃に和解の道が出来る・・・実際の和解はもう少し後になる。

険悪になった両者の関係の「和解の証」として、絵画制作をすることとなった。フィレンツェの画家に依頼されたのは、ロレンツォの賢明な計らい(政治力)といわれる。

ペルジーノ(30歳前半)/ボッテチェリ(30歳半ば)/ギルランダイオ(30歳半ば)/ロッセリ(40歳代)の4人に依頼された。後にルカ・シニヨレーリが加わった。

主題が 旧約聖書と新約聖書の連作(Cycle)であることが重要なこと。

システーナ礼拝堂見取り外略図と側壁の配置

正面の第1場面は、現存しない 1536~41にミケランジェロの「最後の審判」制作で取り壊された。

  • A:ペリジーノ  モーゼの発見
  • a;ペルジーノ  キリストの降誕

展開最後の第8場面は、16c半ばの地震で破壊され、後世に書き直された。

  • H:ギルランダイオ
  • h:シニョレッリ   オリジナルがない 現存は16cの作である。

 初めにモーセの伝記、次にキリストの伝記、夫々場面毎に主題と見どころなどについて説明し、連作の構成のあり方など装飾プログラムの説明、後半には連作の様式(夫々の画家の姿勢と相互の連携)について説明する。ボッテチェリがこの連作の後で、彼の様式を変えていることから、特にボッテチェリの様式の変化が何故起きたのか、ここで何かがあったのか探るのも重要なポイントである。

各作品の主題と見どころ

  • モーセの伝記(左側)(8場面の夫々の主題の選定など)

モーセは紀元前2000年頃の人。その当時ユダヤ人達はエジプトで奴隷(身分の低い労働者)として働かされていた。モーセは、ユダヤの民を神の約束の地(カナン~パレスチナ)に戻すことが任務となったという時代背景がある。

旧約聖書の{出エジプト記}→ 「神の約束の地カナンに戻す」モーセこそが、ユダヤ教の基盤を築いた人。

モーセ五書とは? ==「創世記」/「出エジプト記」/「レビ記」/「民教記」/「申命記」。これらが、ユダヤ教の聖書の基本、旧約聖書の最初の五書となっている。律法の書(トーラ(ヘブライ語))とも言われる。宗教的にはモーセが書いたといわれる。実際には各時代時代に書きたされたものの集約であるらしい。宗教的な意味が大きいこともあり、モーセが書いたという説が通用している。この「出エジプト記」が出典である。

システーナ礼拝堂の壁画の配置  タイポロジー=予型 という考え方がとられている。「モーセの生涯キリストの生涯」がタイポロジーの配置にになっている。信者たちはモーセの生涯の展開を見てそれと相対する場面を見ながらキリストの生涯を知るという形態である。

正面の装飾 (現存しない)

「最後の審判」がミケランジェロによって描かれる前の正面の配置

上層 キリスト、聖ペテロ、聖パウロなど聖人像があった。

中層 (現存しない次の二つの絵)

  • A:ペリジーノ  モーゼの発見
  • a;ペルジーノ  キリストの降誕

また、祭壇部分に

ペルジーノの祭壇画「聖母被昇天」があった。イメージが残されている。 

Assumption of Mary  c. 1481  By ペルジーノの工房の画家
Metalpoint, pen, wash, with white heightening, 272 x 210 mm
Graphische Sammlung Albertina, Vienna  (コピー)

ヴェネティア サン・マルコ聖堂のナルテックス(入り口)の天井部分に同じ主題のモザイク装飾(ビザンツ様式)がある。

第1場面 Aモーゼの発見 ペルジーノ (ミケランジェロにより破壊)

「生めよ、増えよ」 ユダヤ人の考え方に、エジプトのファラ王が警戒した。そしてユダヤ人の男子の子供は処刑せよとの命令。

モーセの母は、モーセが生まれたとき、深慮遠謀の末、パピルスで作った箱に入れて、ナイル川の、ファラ王の娘が水浴する近くに流す。心優しい王女に母は子モーセの命を賭けた。姉(ミリアム)を近くの茂みにかくして様子を監視させた。

ファラ王の娘は、箱の子を発見してヘブライの子であることを悟り、拾い上げて育てることにする。見ていた姉が乳母を紹介する。聡明なファラ王の娘は、紹介される乳母が実母であることを悟りつつ敢て頼む。

モーセはエジプト王の養子として育てられた。

少年モーセの事件:王がモーセをからかってエジプトの王冠を被せる。モーセがそれを嫌って、王冠を床に叩きつける(壊す)。王はこの行為を裁くために、モーセがすでに分別がついているのかどうか試すことになる。二つの皿を用意し、一方に暑く熱した石炭、一方に桃を載せ、どちらをとるかを試した。モーセは神の導きで、石炭を選んで焼けどする。(おかげで裁ばかれずに助かる。)モーセが、口が重い理由は、このときの焼けどが原因である。

第2場面 B「モーセの次男の割礼」 ペルジーノ

第3場面Cとは順序が逆になっている–対面のキリスト伝との関係で逆にした。新約の洗礼が展開の先に来ることからその対比で旧約の割礼を先に配置した。

第3場面 C「モーセの試練」 ボッテチェリThe Trials and Calling of Moses   1481-82
Fresco, 348,5 x 558 cm    Cappella Sistina, Vatican

 7つの物語が描かれている。モーセは黄色の衣に緑(オリーブグリーン)のマントを着ている。7つの物語が右から左に展開。対面の「キリストの誘惑」と逆の展開でタイポロジーを構成。

①ユダヤ人奴隷を虐待するエジプト人を殺す。(殺人罪)②ミディアの地へ逃げる③井戸で娘を妨害する羊飼いたちを分散させる ④水を汲みに来ていた娘たちを手伝う。娘は祭司エテロの娘チッポラ。「チッポラという若い女」ボッテチェリらしい美しい顔の表現である。エテロのもとで羊飼いとして暮らすモーセ ⑤ホレブ山(=シナイ山)に行く。突然声が聞こえる「靴を脱ぎなさい」命に従うモーセ ⑥火の燃え盛る茨の中から神の声。「カナンの地へ導きなさい」といわれる。ファラ王の説得が難しい。口が重いので良く説明できないといって躊躇する。神は、アアロンという兄がいるではないか、共に行くようにせよ。そして、杖が渡される、苦難のときの助けにするために。

画面の左上の燃え盛る茨の中から神の声、もっとも大切な話である。「燃える茨」。第2場面の後に来る話である⑦モーセによってエジプトから導き出されるイスラエルの人びと。

第2場面 B「モーセの次男の割礼」 ペルジーノ

Moses’s Journey into Egypt and the Circumcision of His Son Eliezer    c. 1482    Fresco, 350 x 572 cm   Cappella Sistina, Vatican(Scenes from the Life of Moses 1481-82 Fresco, 348,5 x 558 cm Cappella Sistina, Vatican)

第3場面Cとは順序が逆になっている–対面のキリスト伝との関係で逆にした。 新約の洗礼旧約の割礼との対比。

黄色い衣に緑のマントがモーセ。画面奥の中央の図は、集会でシナイ山での話をしている。ミディアの地からエジプトに戻る。奥から左に展開し前景は左から右の話が進む。チッポラと二人の子供、モーセは杖を持つ。ところが天使が制する。次男の割礼がすんでいないので割礼を済ませてから行くようにと指示。右は次男の割礼の場面。左側の側壁に描かれているので展開の順序と構図が逆方向の形になる。ボッテチェリはこのことを考えに入れて絵の展開をしたが、ペルジーノは考慮していない。

第4場面 「紅海の渡り」ビアッジョ・ダントーニオ( orロッセッリとギルランダイオ)   

Crossing of the Red Sea 1481-83 Fresco Cappella Sistina, Vatican

右奥がこの絵の最初の話、ファラ王に合うところ。カナンの地に戻してほしいと交渉するところ。「解放の願い」ファラ王は許さない。貴重な労働力を手放ししたくない。モーセは、許さないと神の導きで、災いがおきると交渉。ファラ王の子も災いに遭うと告げる。予言のとおり殺戮の天使がやってくる。イスラエル人は子羊を犠牲に供して、その血で入り口に血の印をつける。この過ぎ越しの印のあるイスラエルの家だけを残して、初子がみな殺される。この印=過ぎ越しの印をつけたイスラエルの家以外は殺戮に遭う。ファラ王の子も殺される。

ついに許されて(さあ行け!望みどおり行くがよい)、エジプトを出る。紅海をわたる際に、ファラ王から連れ戻せと指示が出る。追っ手が迫る。600台の戦車。潮が引き、嵐が近づき、モーセが杖を振り上げると紅海の水が引き、道が出来る。イスラエルの民がわたる。その後、塩が満ちて紅海の水が増えて道を塞ぎ、追っ手の兵士たちは海に飲み込まれる。

この間、昼は雲の柱、夜は火の柱が立って民を導く道標になる。中央の縦の柱が道標の絵。左端、渡り終わったユダヤ人。モーセはイスラエルの民ともども神を讃えて祝い、歌う。モーセとアアロンの姉ミリアムは小鼓を手に踊る。虜囚時代は完全に終わった。

第5場面 「十戒の石板の授与」 コジモ・ロッセリ/ピエロ・ディ・コシモTables of the Law with the Golden Calf   1481-82
Fresco, 350 x 572 cm  Cappella Sistina, Vatican

中央上、神から石板を受け取る図。シナイ山の麓に民を残して山頂に。山頂で神の声を再び聞く。大勢の民を纏めるには規律が必要。「十戒」(資料参照)  待ちくたびれて、民が動揺。アアロンが皆から集めた金を溶かして、牛の像を作ることを提案。(古代からの習慣)民は喜んで参加。

山から下りたモーセが非常に怒る(最も忌み嫌う偶像崇拝、しかも信頼するアアロンが指導) モーセは石板を叩き割る。後ろにヨシャがいる。右の上の絵は、参加したユダヤ人を処刑するところ(3000人にも)。

モーセは再び山に登る。中央は二つの事柄を兼ねた絵である。下って左に向かう。石板を見せるモーセ。モーセの顔が光っている。(ラテン語に訳すときに誤訳して角が生える・・角のある絵がたまにある)

主題の選択と配置について

特徴:異時同図・・一つの画面の中にいくつかの物語が描かれている。システーナ礼拝堂の壁画には、一枚の絵の中のいくつかの物語を描き、その繋がりや流れをスムースにする工夫がある。たとえば、「モーセの試練」の例では、7つの物語を右から左へジグザグに展開させている。そのために井戸の周りの話を意識的に二つで展開している。

「次男の割礼」の例では、中央奥に、神からのお告げをエテロへ説明しエジプトへの旅の了承を取る場面を置き、そこから左へ展開し旅支度を整えて、中央の天使による静止、さらに右に次男の割礼へと流れを作っている。

第6場面 「コラン、ダタン、アブラムの懲罰」 ボッテチェリThe Punishment of Korah and the Stoning of Moses and Aaron
1481-82   Fresco, 348,5 x 570 cm  Cappella Sistina, Vatican

モーセは、荒野の旅を続けていく。苦難の旅で、民からの救済の訴えを聞き、神の救いにより一つ一つの困難を乗り越えながら延々と旅を続ける。民は不満を常に言う。(こんなことならエジプトを出るんじゃなかった)など。モーセが神の声を聞いて、アアロンがそれを民に伝える。不満を宥める役割。

画面の右側、コラ、ダタン、アブラムがモーセに反乱し、石を持ってモーセを攻める。ヨシヤが防いでいる。アアロンの役割を私たちに替わりにやらせろと主張する。

画面の中央 モーセは、祭司とは香炉を上手く振ることが出来る人でないといけない。上手く振れた人にその役割を与えようと提案。皆が香炉を振っている場面。アアロンは悠々と誇らしげに振っている。アアロンは、三重冠風の帽子を冠っているが、ローマ法王を象徴しているといわれている。他のものは香炉振りが上手くいかずに焼けどを負ってしまう。後景の凱旋門の銘には、次の内容が書かれている。「祭司という職業は、アアロンのように選ばれたもののみが出来るのであって、誰でも出来るものではない」。「祭司」を「ローマ法王」と置き換えて読むと、時の法王シスト4世を称えている銘となる。

左端は、反逆への報いの画面。地が割れて、反逆者たちが地中に吸い込まれている。3,000人くらいの大勢が地中に落ちた。ユダヤ人でも神に従わないものは、地中に落ちるという戒めである。

第7場面「モーセの遺言」 ルカ シニョレッリMoses’s Testament and Death   1481-82
Fresco, 350 x 572 cm   Cappella Sistina, Vatican

右から左へと流れていく。モーセはモアブまでたどり着いた。右奥に、カナンの地が描かれている。

モーセはここで細かい規則を伝える(細則の伝達)画面の中央、天使に導かれてモアブの丘に案内される。神はモーセに貴方の役割はこれで終わりであると伝える。死を告げられる。

左側、モーセは、神から授かった「杖」をヨシヤに渡す。これからは貴方が群集を導きなさい。

左上奥、モーセの死の場面である。

(この後第8場面には「モーセの遺体をめぐる話」があったがその絵は紛失した)

全ての場面が 「異時同図」3~5の物語で展開されている。

  • キリストの伝記 (右側)(8場面の夫々の主題の選定など)

モーセとは反対側の側壁  祭壇に向かい右側 「キリスト伝」の連作

第2場面「キリストの洗礼」 ペルジーノ

Baptism of Christ  c. 1482 Fresco, 335 x 540 cm Cappella Sistina, Vatican

キリストは30歳で洗礼を受ける。 0~30歳までの期間、キリストは聖書にほとんど出てこない。唯一12歳のときに、エルサレムで博士たちを論破することが記載されている。

ヨハネは、キリストの親戚、マリアの従妹エリザベスの息子である。半年くらい早く生まれた。ヨハネはキリスト以前からキリストと同じような行動をしていた。モーセが2、000年前に神から法を授かった。これを守っていく立場であるが、人間は生まれながらにして罪人で、弱いものである。十戒すら守れない人が多い。この絵は二つの話が対照的に組み合わされて描かれている。一つは左から中へ進む、左奥に洗礼者ヨハネが群集に説教している話、意志の弱いものはどうしたらよいか・・・洗礼を受けなさい。モーセは割礼。ユダヤ教の最初の儀式は割礼、それに対してキリスト教の最初の儀式は洗礼。罪を持つものはその自覚を持つことが必要であり、その証として洗礼を受ける。

絵は、そこから群衆を連れてヨルダン川に向かうヨハネが描かれている。人々に洗礼を施していたところにキリストがやってくる。ヨハネは、私こそが貴方から洗礼を受ける立場であるというが、キリストは、いや、今回は私が洗礼を受けるのですと告げる。

キリストの頭上の鳩は聖霊を象徴、三位一体を表している。天なる神と神の子キリストとそれを結ぶ聖霊は一体のものであるという考え。キリストはこの後荒野に籠もって40日間断食をする。絵の右側が人々に説教をする「キリスト」。

この場面は時間の経過からすると次の絵の「キリストの誘惑」の場面と先後する関係であるが、ヨハネの説教とのバランスから、絵のタイポロジーを構成する上で、キリストの説教をここに描いた。

第3場面「キリストの誘惑」  ボテチェリ

The Temptation of Christ 1481-82 Fresco, 345 x 555 cm Cappella Sistina, Vatican

キリストは3回悪魔の誘惑を受けた。

左上が1回目の誘惑の図、空腹であろう。その石をパンに変えて見せてくれ。これに対して「人はパンのみにて生きるものにあらず」と断つ。

中央上、神殿の屋上につれてきて第2回目の誘惑。ここから飛び降りたら神が助けるであろう。飛び降りて見せろ。これに対して、「神を試してはいけない」この建物は、描かれた当時のローマにあったサン・スピリット・ローマ病院をモデルにした。

右上、第3の誘惑。小高い丘の上で広がる風景を見せながら、悪魔にひざまずくのであれば、ここから見える土地を全てお前のものにしてやる。「悪魔よ、お前がされ!」キリストがついに悪魔が正体を見せたことで追い払う。悪魔がフランチェスコ修道会の服装で描かれている。これはなぜか?

左中間、荒野から帰ってきたキリストを天使達がパンやワインで祝福する。キリストは天使たちに前景に描かれている儀式を説明しているように見える。

前景の中央がなにを描いたか良く分かっていない。祭司、助祭がいて儀式をしている。キリストが荒野から帰る途中「らい病患者」を癒した話がある。神の力が直したので、神の前で儀式をするように伝える。らい病患者が神に願った話が「レビ記」にある。この話かもしれない。キリストがこの絵の中心にいないことが不思議である。

ユダヤ教の「犠牲」の場面と取れる内容が中心にあることが意味不可解なところである。右上に天使により用意された聖餐式の卓と左の中間の天使がパンとワインで祝うことと中央の「犠牲」とのタイポロジーであると読み取ると分かるかもしれない。ユダヤ教における「犠牲」とキリストの磔による死が象徴的に表現された?)

第4場面「弟子たちの召喚」 ギルランダイオ

Calling of the First Apostles 1481 Fresco Cappella Sistina, Vatican

弟子を増強していく話。

キリストが左ガリラヤ湖にやって来た時、漁をしていたペテロとアンデレに合う。「魚を取るのではなく人を採る仕事をしないか?」と誘う。

中、ペテロとアンデレがキリストに従うことを決めている。

右側中景キリストがペテロとアンデレを従えて、船上にいるヨハネとヤコブの兄弟を誘っている。ヨハネやヤコブのことは聖書にはほとんど書かれていないが、左右のバランスを考慮して、兄弟を弟子にする話として入れた。

第5場面「山上の垂訓」 コジモ・ロッセリ

キリストはガリラヤ湖周辺で活動をしていた。奇跡を起こしたりしながら非常に評判になり、人々が多く集まってきた。

画面中央左、こんもりした丘に見えるが山上を意味している、説教をするキリストとそこに集まる人々。

モーセの律法を破壊するのではなくて、補完するためにやってきた。「律法は大切である。しかし律法は完璧ではない」  たとえば、モーセは「目には目を、歯には歯を」というがそうではない。「貴方の右ほほを打つ者には、左ほほも差し出しなさい」「汝、敵を愛せよ」

「姦淫を犯してはいけない」と書かれているが、目で性的興味をもって見る人は、心の中で姦淫を犯したことになる」大切なことは、「罪の意識を自覚して償うこと」である。十戒と八福。

中央奥、山から降りるキリスト。

前景、「らい病患者」を癒すキリスト らい病患者の体のしみがリアルに描かれている。

第6場面「ペテロへの天国の鍵の授与」 ペルジーノ

Christ Handing the Keys to St. Peter 1481-82 Fresco, 335 x 550 cm Cappella Sistina, Vatican

自分は、処刑される身であるが、その後、貴方が人々を天国へ導きなさい、ペテロに鍵を渡す。

ペテロは教会を建てる。サン・ピエトロ聖堂 (ヴァティカン)

キリスト教会のルーツを語っている。ローマ法王の起源に関係する。全ての起源として非常に重要な位置づけである。

ヴァティカンの礼拝堂に描かれていることに重要な意味がある。描かれている凱旋門の銘版の意味「シスト4世はソロモンに匹敵する法王である」  ソロモンはイスラエルに神殿を建てた。シスト4世がペテロから続くローマ法王の系譜上にある」ことを言いたかった。

奥の景の2場面 (人が踊っているように見えるところ)

キリストに対する反逆者のことを描いている。

左は「貢の銭」 キリストとユダヤの兵士達。ユダヤはローマの植民地であり、税金を払っていることに不満を言うユダヤ兵。キリストは、かれらの稼いだコインを見せてもらう。コインの裏に刻まれたカエサルの肖像を見て、「カエサルのものはカエサルに」といって、上手くはぐらかす。

右側キリストと人々。「律法は完全ではない」といってキリストに疑いを持つものたちが石を持て殴りかかる図。

第7場面「最後の晩餐」  ロッセリ

ガリラヤ周辺で活動し、サン・ヘドリンのあるエルサレムには入らないでいた。最後にエルサレムに行かなければならないこととなり、エルサレムに入る。ユダが銀貨30枚で裏切りを行う。

最後の晩餐は、元々「過ぎ越しの祭り」である。

後の3場面  ゲッセマネー(オリーブ山)にやってくる。左の画面 弟子たちが居眠りをしている。中央 キリストが逮捕されるところ(ユダの接吻)ペテロ一人だけが反抗して 兵士の耳を切る。キリストが諭す。

右の場面 ゴルゴダの丘のキリストの磔。

前から後ろ、 左から右への場面展開。

側壁画の装飾プログラム

4人による連作

4人の画家中ペルジーノが中心になっている。重要な場面を描いている。この壁画のプロジェクトはペルジーノがリーダである。シスト4世はペルジーノがスキだった。フィレンツェでも活動していたが、もともとは教皇領であったペルージャ出身であることが関係しているともいえる。

各絵の主題についてみてきたが、ここでは全体を通してのプログラムについてみる。

装飾プログラム・・装飾(彫刻、モザイク、壁画など)の際に予め決めておく。装飾プログラム(図像プログラム)は、時代により異なる。

システーナ礼拝堂の側壁は初期キリスト教時代をベースにしている。すなわち、新約聖書を、旧約聖書と関連付けて展開している。キリストとモーセを対照させて描く。

「新旧聖書のタイポロジー」   タイポロジー:語彙:タイプに分類する(イタリア語)

旧約と新約のタイポロジーの主眼は旧約の十戒と新約の八福との対比として要約される。

  • システーナ礼拝堂見取り図
  • モーセの十戒とキリストの八福 

 

 

旧約聖書中の物語に、キリストの思想や言動の予型を見る。

聖書は、 3/4が旧約、1/4が新約の分量である

ユダヤ教の経典を排除せずに残した上で、新約聖書で補完する形。

キリストの考えや、言ったことや、行ったことは、ユダヤ教の経典の中にその予型が残されているとの考え方。キリストはユダヤ教徒が永い間待ち望んでいた救世主である。

装飾の際にこれらのことを、あえて関連付ける。

システーナ礼拝堂側壁壁画の、タイポロジーの配列  緑の矢印

キリスト伝が、主体であり、これに関連付けられるものを、モーセの中から引き出して、装飾する。

各絵の主題を説明するラテン語の銘文が絵の上の欄に書かれている。

銘文の中で、ラテン語の共通(反対)の単語が相対して使われていることに注目

①.A :  a  始祖の誕生・・失われた→→ミケランジェロが「最後の審判」のために除去

②.B : b  再生のための儀式

キリスト伝では、誕生から成長過程はほとんど聖書に書かれていない。30歳の洗礼からが主である。したがって、キリスト伝を主体にしているから②場面に洗礼がくるのは不思議ではない。一方、モーセの方は、誕生から出エジプトまでいろいろ書かれているが、キリスト伝に合わせるために、割礼を②場面に持ってきた。

ユダヤ教徒が最初に行う儀式が割礼である。「国力は人力である」という考え。「生めよ増えよ」そのために男性器が清潔である必要があると思われた。”割礼”に対してキリスト教では何か?というと、”洗礼”であると伝えている。

③. C : c  始祖に与えられた試練

キリストは、洗礼を受けた後、40日間の断食のために山に入る。その間に3回悪魔から誘惑される。

注:この場面だけ、中心がキリストではない→→その訳は? 後で説明

試練に対照するものとしてモーセの中からなにを持ってくるかと考え、エジプト人を殺したこと、

キリストの試練に対して、神がモーセに役割として与えたユダヤの民をエジプトから脱出させること、を持ってきてタイポロジーとした。 その結果、モーセの物語の連作では、②場面と③場面が順序が逆順になった。 

④. D : d 始祖に同意するものたちの集い

ガリラヤ湖で漁師をしていたペテロとアンデレの二人を弟子に加える。さらにヨハネとヤコブを弟子にする。弟子を増やしていくことを描く。「福音を伝えるものの許に人々が集まる」

モーセの方は、紅海の渡りの場面がくる。

モーセがファラ王を説得して民をエジプトから脱出させるが、ファラ王の気変わりで、連れ戻されそうになる。紅海をわたる際の奇跡で追っ手を退けた。

神の助けに感謝し人々が集い、歌い踊る。人々はこの奇跡により、モーセに付いて来て良かったと考え、モーセの許に集まる。

もう一つ、水のモチーフもタイポロジー。ガリラヤ湖の漁師から救いの人々が集まった。モーセは紅海の水の奇跡で民が救われた。「水と救済」がもう一つのタイポロジーのテーマである。

⑤.E : e 法の公布

弟子が12人になり説教をしたり奇跡を起こしたりして評判になっていった。人々を連れて山に登る。山の上で説教、垂訓をする。 福音の法の公布である。

どういう人が、神の救いが与えられるか、など・・キリストの「八福」

モーセは、「十戒の授与」  他にも神の声はある、強くないといけない「目には目を、歯には歯を」

キリストはこれらを引用して、新しい福音を説いた。補完したという形である。

全体の中で、最も分かりやすいタイポロジーとなった絵である。

全体で最も重要と思われる。

律法主義と福音主義・・・・律法を残しつつ福音で補完した。すでに千数百年を経過していた。

「律法を言動で守っても、心の中で法を犯している」 人は弱い者、これらこそ救われる。

⑥.F : f 始祖への反逆

天国への鍵をペテロに渡す・・ローマ法王のルーツを描いた。銘文には「イエスキリストへの反逆」とある。絵の中心にはローマ教皇のルーツを描いて反逆の場面は後景に小さく二つ描いた。

モーセは明確に反逆の場面を3つ中心に描いた。キリストでは反逆を弱く表現して、モーセのタイポロジーで反逆の事実を伝えた。

もう一つ、「選ばれたもの」がタイポロジーのテーマである。

キリストに仕えるペテロと、モーセに仕えるアアロンが対称。 司祭(教会)は選ばれたものがやる。

アアロンが三重冠を冠っている。キリスト教の教皇の姿を表現し、その意識を伝える。

⑦.G : g 法の伝達

伝達の儀式、聖餐式(パンはキリストの肉、ワインはキリストの血、キリストの肉と血を弟子たちに入れた。  死を認識し、福音を遺言として、引き継いでくれと伝えた。

モーセは、カナンに到着し、モラブの地でカナンに入る際の「法の細則」を伝えた。

後継者=ヨシヤを指名し、神から授かった杖をヨシヤに渡す。そして死の場面。

キリストの死の場面とモーセの死の場面が絵の中に占める位置で対置している。

ボッテチェリの担当した場面の難解な図像について

キリストの誘惑とらい病者の清め≫ について、図像の話をしたい

よく分からない主題(キリスト以外の人が中の場面)が中心におかれていて難解である。 なぜか?

神殿の祭司が三重冠を冠る、これはローマ教皇のもの。

→→シスト4世が、自分の肖像を描かせた可能性が指摘される

理由

  1. 神殿の建物は当時ローマにあった病院の建物で、オスペダーレ・ディ・サント・スピリット。この病院は、シスト4世がらい病患者救済のために建てたもの。
  2. 樫の木が神殿の横に描かれている。樫の木はローヴェレ家の紋章でシスト4世の出身家門。司祭が着ているコートにも、ローヴェレ家の紋章と近い模様が描かれている。

 

パッツイ家の陰謀を総括した絵」説

パッツイ家の陰謀・・1478年、パッツイ家がメディチ家に反旗を翻した。

フランチェスコ・パッツイ

ジャンバティスタ・ダ・モンテセン

フランチェスコ・サルヴィアーニ

この3人が組んでメディチ家のロレンツォとジュリアーノを襲い、

ロレンツォが重傷を負いジュリアーノが殺害された、事件。

これは単なるフィレンツェの内輪もめではない。

三人の犯人の一人ジャンバティスタ・ダ・モンテセンは、シスト4世(在位1471~1484)の主要幹部であり、軍事部門を担当していた。すなわち、この事件の裏には、シスト4世が介在していた。

シスト4世は就任当初から財政管理をメディチ家から取り戻そうと考えていた。メディチ家が就任の挨拶で財政管理の継続を頼んだ際に断っている。甥のジオーラモ・リラーリオをイモラに派遣するなど、フィレンツェ領土を3方から攻め込む。教皇領と隣接しているフィレンツェに圧力をかけていた。領土を接して争い状態にあった。

シスト4世は、メディチ家のライバルであるパッツイ家を嗾ける。

この事件で危うく難を逃れたロレンツォは、フランチェスコ・パッツイとフランチェスコ・サルバーニを処刑しポンティベッキオからつるした。

`78戦争状態に入る

ローマ教皇は、ナポリと組んで海から攻めた。これに対してフィレンツェは、ミラノ、ヴェネティアと組んで全イタリアを巻き込んだ戦争に入りかけた。

1482年12月に和解。教皇庁とメディチ家で話がまとまる。→→トルコの攻勢が始まり、異教徒の侵入を防止しなければならない事態が、両者を和解に向けた。

和解の証として、システーナ礼拝堂の壁画装飾をロレンツォが提供することとなった。

ローヴレ家の紋章→→緑の地に白抜きで樫の木を模様化した図柄。

三重冠の司祭のマントの模様がこの模様と似ている。司祭がローヴェレ家出身のシスト4世を表す。

絵の右下子供がぶどうを抱える、そこを蛇が絡んでいる。ぶどうは死の象徴、蛇は悪の象徴で、不吉な予感をさせる描写。「悪によって死に至る」意味。

司祭の後ろにいる人物がジュリアーノに似ている。ボッテチェッリの「マギの礼拝」を参照。

「マギの礼拝」の絵にはメディチ家の人々が肖像のように描かれている。この中のジュリアーノに似ている。

また「ジュリアーノの肖像」ワシントン・ナショナル・ギャラリーを参照

パッツイ家の陰謀により死亡したジュリアーノが、「シスト4世とロレンツォの和解」を象徴すると解釈。

さらに左端の、(中央に背を向けている)3人をこの陰謀の3人とする。真ん中は聖職者の服装で聖職者は、サルビアーニか。

悪魔の服装が、フランチェスコ修道会の修道士の服装であることの不思議。首謀者がフランチェスコという名であり、この名が由来するフランチェスコ修道会の修道士の修道着で、絵の中のキリストを誘惑する悪魔の服装を表現した。

側壁画の「様式」について

4人の画家は、礼拝堂の建築家ジョヴァンニ―ノ デ ドルチとの間で1481年10月21日に契約を交わしている。現存する壁画は、12作品であるが、当初はモーゼ伝、キリスト伝が夫々8作品ずつ16作品であったということは既に述べてきた。しかしこの契約では4人が10作品を描くと記されている。なぜ16作品ではなくて10作品なのか、この理由について松浦弘明先生は、10月の時点では既に6作品が完成していて、その結果を評価した上で、残る作品のための条件を付した新契約書になったと推定されている。

4人の連作の「様式」のことを話しながらボッテチェッリの様式の変化のことを説明したい

システーナ礼拝堂の作者と配置

様式を見る際に重要なことは、

誰が?どの部分を?描いているか?

意図は何か?

どのように描いているか?

 を見ることである。

プロジェクトリーダはペルジーノであろう。ある程度の基準をペルジーノが決めた。

基準の決定:ペルジーノ

  • 1画面中に描く物語の場面数
  • 複数場面の画面中の配置のあり方
  • 人物像の大きさ
  • 地平線の位置

基準の絵  ペルジーノが描いた

「モーセの割礼(B)」「キリストの洗礼(b)」「キリストの天国への鍵(f)」

が基準の絵である

  • 場面数:3場面が基準
  • 配置「天国への鍵の授与(f)」が基準::ヴァチカンのルーツを描いた

主場面を前景の中央に近いところに配置し、副次的な場面は中景に小さく配置

  • 人物像の大きさ 前景の4/10位、中景の人物は前景の1/4位

人物像の様式はヴェロッキオ工房を引き継いでいる。

ヴェロッキオ工房の「キリストの洗礼」から始まる人物像の特徴を持っている。

  • 解剖学的に正確な描写
  • ポーズの研究が進んでいる動きが正確に描写されている
  • 顔の表情が生き生きしている写実的に正確に表現されている
  • 内面的なものを感じさせる表情の描写
  • 地平線はほぼ真ん中位に配置

空気遠近法を大胆に用い、奥行きの出し方が進んだ。

空間の連続性を出す為に人物の配置に気を配っている。

主人公だけでなく他の人たちをいろいろ描くことで、情景を良く表現する

「キリストの洗礼」の人物配置を参照にして人物配置の検証をする。

ペルジーノが基準を示した。「天国への鍵の授与」が全体の基準の作品である

基準に対しての画家の姿勢

次に考えることは他の画家たちが基準に対してどのように考えて描いたか?である

ギルランダイオについて

「紅海の渡り」/「弟子たちの召喚」 両方とも非常に良く基準を守っている(率直に従う)

「紅海の渡り」では、エジプトの兵達の敗北を強調するためにダイナミックな感覚が強調されている

ロッセリについて

「十戒の授与」/「山に上の垂訓」/「最後の晩餐」

当時すでに50歳位でペルジーノより年上である所為か、わが道を行くといった感じを受ける

「山」が主要なモチーフであるという特徴を生かす必要性があったことも併せて、

少し違った感じを受ける。しかし、基本的にはペルジーノの基準に従っている。

モーセの右側と左側を対比させる構図では構図の纏め方に多少の難がある。

「最後の晩餐」では地平線の高さは守っているが多少バリエーションを作った。すなわち、3場面を連続させない手法をとるなど。

シニョレッリについて

「モーセの死」

ロッセリの「十戒の授与」に近い様式の構図をとる

ボッテチェッリについて

「モーセの試練」/「コラン、ダタン、アブラムの懲罰」/「キリストの誘惑」

「キリストの誘惑」

キリストが与えられた試練(=誘惑)→→描かれた3場面とも同じレベルの重要なテーマである。

「コラン、ダタン、アブラムの懲罰」は「天国の鍵」の真向かいにあることを意識している。

時代に合わないモチーフ〈凱旋門〉をあえて描いた。しかも画面の真中に大きく配置した。

その真意は何か?

また、3場面を連続して描いた。しかし、前景に、まったく同じ大きさで描いた(基準とは違う)。

―――ボッテチェッリは画面の平面化を意図したと考えられる。

また、大きな凱旋門で画面を塞いで奥行きを消す試みを行っている。

「モーセの試練」は画面の平面化がさらに進んだものと考えられる。どれが重要か分からないようにして均等に描かれた。神の声を聞く場面が最重要で、次がエジプト人を殺害する場面。靴を脱ぐとか井戸端で水を汲む場面などは重要性がない場面。様式的に見た場合、システーナ礼拝堂の中でもっとも不思議な絵である。あからさまなペルジーノへの反逆の姿勢が見える。

空を見せない、「山」で後景を塞いでいる、空気遠近法を避けるなど、意図して平面的に描いている。

この後のボッテチェッリの作品に引き継がれていく様式といえる。

まとめ

様式上の基準作は、「天国の鍵」ギルランダイオは率直に従った。ロッセリはわが道を通した

ボッテチェリは変化している。空間をなくしていく。

後の作品である「春」に繫がって行く様式が、「モーセの試練」の中で見えている。

ボッテチェリのシステーナ以前の作品 「受胎告知」、「マグニフィカートの聖母」ウフィツ を見る。

 

 

 

 

 

 

違いが大きい。 ポーズの工夫で動きのある人物像を表現。

‘82の「春」では様式が変化した。

感情が表に出ない。/キューピットの身体表現が奇妙。/人物表現を意図的に変えている。

正確に描くことを重要視した時代の絵としては不思議な人物像である。

この変化はシステーナ礼拝堂時代に想起したと見る。

システーナ礼拝堂の3つの絵は、時代の流れに逆らい始めたことを感じさせる。

ボッテチェッリは、システーナで様式を変えた。

ヴィジュアル的に綺麗である。→→惹きつけるポイントと考えた。

「新プラトン主義」の影響が出ているか?

リアルに再現する要素と、それとは対照的に、幻想的な美しさを表現とをあわせ持つ。

幻想的な美しさを表現すること――は【絵画】の中でのみ出来る特徴である。細かい装飾的な描写、線の美しさ、髪の表現、非現実的な美しさをテーマに、余計なものを消し去って、美しいところに集中して描写した。

以上のことを記述した著書は、今のところ存在しない・・松浦先生の独創。

システーナ礼拝堂の側壁画            

KuniG について

日々見聞きする多くの事柄から自己流の取捨選択により、これまた独善的に普遍性のあると思う事柄に焦点を当てて記録してゆきたい。 当面は、イタリア ルネッサンス 絵画にテーマを絞り、絵の鑑賞とそのために伴う旅日記を記録しよう。先々には日本に戻し、仏像の鑑賞までは広げたいと思う。
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システィーナ礼拝堂の側壁画の鑑賞  への1件のフィードバック

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