盛期ルネサンス絵画の展開(その四)
--レオナルド ダ ヴィンチ の絵画(その2) 第1次ミラノ滞在期の絵
ミラノ時代 「岩窟の聖母」と「最後の晩餐」、この2点が重要な作品である
「岩窟の聖母」について
- 1485年;ルーブル美術館版
- 1505年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー版
3枚の板からなる祭壇画
依頼、納入、訴訟、再納入などの経緯について
1483年04月25日 ミラノ サン・フランチェスコ・グランデ聖堂内にある「無原罪の御宿り」信徒会より同礼拝堂の祭壇画の制作を依頼される。
両翼の楽器を奏でる天使をアンブロージュとエヴァンジェリスタのデ・プレーデイス兄弟が同時に依頼された。
1486年5月.25日 製作者側の訴訟に対して信徒会側が代理人を任命。このことからルーブル・ヴァージョンは、この年までに完成していたと考えられる。
1506年4月27日祭壇画の未完成を指摘される。このことから、祭壇画は、この年以前にロンドン・ヴァージョンに置き換えられていたと考えられる。
(1506~1512年 レオナルドは町のフランス人統治者チャールス・アンボワーズの庇護の下で、再度ミラノで生活)
1508年訴訟問題が全面的に解決される。このことからレオナルドがロンドン・ヴァージョンを完成させたと考えられる。
1576年 「無原罪の御宿り」礼拝堂が取り壊される
1781年 「無原罪の御宿り」信徒会が解散。
18世紀末に サン・フランチェスコ・グランデ聖堂が取り壊される。
このときまで、聖堂内にあったのは、ロンドン・ヴァージョン。これを画商ハミルトンが購入。
その後、ロンドン・ナショナル・ギャラリーに入る。
1508年に、24,5年間の訴訟を終える。
- どうしてそんなに長い時間がかかったか? そして
- どうして2点あるのか?
17世紀の記録があり、フランス王宮殿(別荘)においてルーブル・ヴァージョンを見た。
1506年の記録があり、「祭壇画は未完であり支払いしない」と、これは信徒会側の記録
1486年レオナルド側が請求して訴訟になっていることから1483~1486に完成したと推測される。
何らかの理由で信徒会が受け取りを拒否した。
1500年頃、フランス王に売却された。聖堂内の祭壇にルーブル・ヴァージョンが設置されたかどうかは記録がない。信徒会側が、修正を求めたのではないか、と思われる。
修正ヴァージョンが、1506年までは完成していない。
1486~1506年修正ヴァージョンを制作・・・1508年決着が付く。この間で、レオナルドがミラノにやってきて完成させたと考える。「ミラノに居ない画家には支払いしない」との契約がある。
1508年 ロンドン・ヴァージョンを礼拝堂の祭壇に設置。
その間に、レオナルドはルーブル・ヴァージョンをフランス王に売却したと考えられる。
発注者 「無原罪の御宿り」信徒会とは?
イタリア語で Concezzione Immacolata (性的な交わりなしに懐妊する)の意味がある。マリアのことではなく、その母 アンナのことであり アンナは処女のままマリアを生んだという考え方に基づく。
マリア伝説は、13世紀の「黄金伝説」で触れられている。その後、盛んに議論されている。聖書に物語はない。
「純潔であること」を重視した。フランチェスコ会が積極的に 支持した。
絵画でこの考えを示したものは、レオナルド以前にはほとんどない。レオナルドが始めて試みた。
ジョットーの時代に、ジョットーの弟子たちはアンナの話を多く絵にした。
そこでは、ヨアヒムとアンナの連作「エルサレムの金門の出会い」で懐妊を表した。
夫 ヨアヒムとの間に永い間子供がなかった。ヨアヒムは家を出て、永い放浪の後、神の声により、エルサレムの金門の前でアンナと再会、その際の再会の接吻で懐妊したという考え。ジョットーのスクロベーニの壁画に物語の連作の絵がある。
「岩窟の聖母」の様式
図像に関係するので様式を見る必要がある。レオナルドの意図が、はっきりと現れている。レオナルドが描くものは、天使の内面性の表現に優れて違いがある。
ヴェロッキオ 「キリストの洗礼」 および その 天使の部分 70年代の作品を見る
ヴェロッキオ工房は、描かれた人物間のつながり、交流を重視していた。レオナルドはこれを学んだ。「ブノハの聖母」はこの延長線上にある。ボッテチェッリの「書斎の聖母」にも影響を与えた。
白い花と荊の冠の小道具を象徴として使い、キリストとマリアの関係をつなげていく。ボッテチェッリは割りと分かりやすい象徴を用いた。
「マギの礼拝」未完 82以前、は「ブノワの聖母」の延長線上にあるが、――三人の関係交流から、多くの人間のつながりへ(主役の3人とマギたちの交流)――と発展させた。(未完のため分からないところもあるが・・)
さらに発展したところに 「岩窟の聖母」 がある。
レオナルドが意図したこと・・絵の中の登場人物をどのようにつなげていくか?・・安定性と精神的なつながり、心の動きを表現するのに、ピラミッド型の構図を使った。レオナルドが、ピラミッド構図の最初である・・安定性が出ることに着目したが、「マギの礼拝」では三角形が不完全である。
ピラミッドのメリットは、
- 一つは、構図上の安定性である。
- もう一つは、人物間のつながり、 心の動きを三角形の中に収めるように表現した。マリアとキリスト、マリアとヨハネ、キリストとヨハネの関係を三角で交流する。
さらに工夫がある、
三角形の頂点をマリアの頭部に設定、マリアの目に、繊細かつ微妙な表現を施す。両方の目(瞳)が片方ずつ、キリストとヨハネを見つめる。目の間が離れて描かれ、右と左の瞳の動きが離れている。左目でキリスト、右目でヨハネを見ている。両手の動きと合わせて目を使っている。キリストはヨハネを見つめてヨハネを祝福している。ヨハネはキリストに手を合わせて拝む。
天使ウリエルは、指でキリストとヨハネをつなげ、顔は見るものを見つめている。彼は、三角形を指差している。構図の均衡を保っている。構図がしっかりと出来上がっている。
背景は、レオナルドがミラノに行って北のアルプス方面に行って見た風景を描いた?トスカーナにはない風景を描いている。
「ロンドン・ヴァージョン」
大きさはほとんど同じ。額縁が出来上がっていて、はめ込むものであった。色彩に現在違いがある。これは、ロンドンとルーブルの保存の方針の違いから来るもので、」元は、そんなに違いはないはず。
図像的解説が必要である。 どうしてロンドン・ヴァージョンが受け容れられたか?
「無原罪の御宿り」の概念を絵にすることの前例がない。
アンナの処女性がどこで表現されているのか?背景の洞窟が極めて珍しい。レオナルドの手記の中で洞窟のことが書かれている。「洞窟は生命の源である」アメリカの研究家が、「アンナの子宮」を洞窟が表現している、と指摘。画面左後ろ、開かれた空間からの光が神のお告げを意味し、その光からマリアが生まれた。アンナは、神に子宮を開いたが、ヨワヒムには子宮を開かなかった。
背景右後方の閉じた空間の岩の形がヨワヒムを意味する?
何故ヨハネが登場するのか?・・ヤコブの福音書の中に物語がある。ヘロデ王による嬰児虐殺を逃れるためにエジプトに逃げる。ヨハネもベツレヘムから逃げる。ヨハネの保護をウリエル天使が行った。逃げる途中で聖母子とヨハネが出会う。
ヨハネと幼児キリストとの出会いを表現した。
これと 「無原罪の御宿り」とどういう関係が有るかは分からない。
83の契約の中で依頼者は希望を出している。預言者を入れてほしい(たとえば、旧約の預言者イザヤなど)。イザヤ書の中に将来の救世主は処女から生まれなければならない、とある。
二つの比較をすると (信徒会の気持ちになってみると) 記録はない
ロンドン・ヴァージョンは
- 後輪をつけた・・マリア、キリスト、ヨハネ
- ヨハネが大分違う 十字架の杖を持つ、らくだの毛皮を着せてヨハネを明確にしている。ルーブル ヴァージョンは、薄いものをかすかにまとっているのみ
- キリストとヨハネをはっきりと描き分けている。
- ルーブルヴァージョンではマリアが右手を接しているのがヨハネであることが問題となりうる。右手に優位性があるとの考え。(ちなみに、レオナルドは左利き)ウリエルのそばにいるのがヨハネというのが妥当ではないか?そうなるとヨハネがキリストを祝福していることになる。これは異教徒的で問題になった?
- ロンドン・ヴァージョンでは、天使ウリエルとキリストを離した。
- キリストを明確にした。
レオナルドは、99年までミラノに居たが直さなかった。ロンドン・ヴァージョンはレオナルドが本当に描いたのか?
- デ・プレーデイス兄弟がルーブル・ヴァージョンを見てコピーしているのではないか?
- マリアの髪の流れ、瞳の工夫などが少し違っている。
- キリストのスフマートがロンドン・ヴァージョンが少し劣る。明暗がはっきりしている
- ヨハネのスフマートも劣る、体の丸みなど違いがある
- 天使は大きく変わっている・・視線がロンドン・ヴァージョンは見る人との関係を考えていない
- 背景に描かれる水から浮き上がる大気のような表現がレオナルドは大変に上手い。
ルーブル・ヴァージョンは、レオナルドに間違いはない。
ロンドン・ヴァージョンは、弟子たちや、デ・プレーデイス兄弟が手を入れたと考えられる。天使だけをレオナルドが再度ミラノに行ってから描いたか、あるいは全体に手を入れた。
「最後の晩餐」 レオナルド サンタマリア・デラ・グラツツェ聖堂
1498年頃制作された、 1492・3・29、1494・1・29に関連の資料がある
主だい「最後の晩餐」は、フィレンツェにおいて
タッディオ・ガッティ、カスターニョ、ペルジーノ、ロッセリ、ギルランダイオと続く図像の歴史がある。レオナルドは、これら全てを検証する機会を持てた。
聖書に記述される最後の晩餐における言葉は、キリスト、ヨハネ、ペテロ、ユダの4人の発言のみである。それは次のような言葉
キリストの発言した「裏切り者が居る」の言葉に反応して、ペテロは、ヨハネにキリストから直に聞き出せと迫る。
ヨハネの問いにキリストが答えて、「私がパンを与えるもの」という。ユダは私のことではないでしょうと聞き返す。この一連の発言がもとで、他の9人含め全体に動揺が広がった。
この主題の描写の進化を知るには、
まずは、レオナルド以前の最後の晩餐の絵の展開を比較で見る。カスターニョ、ギルランダイオ(1480、1486の2枚)ロッセリ(1481~82)ペルジーノのそれぞれを見る。
伝統的な「最後の晩餐」の諸作品はどのように描かれているか? レオナルドがそれをどのように変えたか?
カスターニョ(1447) の最後の審判
ギルランダイオ(1480)
ギルランダイオ(1486)
コジモ・デ・ロッセリ(システーナ) (1481~82)
ペルジーノ(1493~96)
「最後の晩餐」を見るときのポイントは キリスト、ペテロ、ヨハネ、ユダの四人の位置に着目することが大切になる。レオナルドは、従来の絵とでは、ユダの位置を変えた、 この点が重要な意味を持つ。
「最後の晩餐」を見るポイント
テーマ:: ① 聖餐式・・・・受難伝の物語の一部を構成。ミサとして現在にも続いている(パンをキリストの身体として浸して食す)⇒ ⇒聖体(パンとワイン)を強調する(初期キリスト教時代や中世に多い)
テーマ:: ② キリストが裏切り者の告発する。ドラマチックな瞬間を強調。⇒ ⇒人と人とのドラマを表現(キリスト、ヨハネ、ペテロ、ユダの4人が主役であり、他の使徒たちのことは聖書には語られていない)
- ヨハネ:気が弱い・・驚いてキリストに泣き伏す表情など
- ペテロ:イエスにかわいがられているヨハネに対して裏切り者は誰かを聞けと要請、話かける
- キリストが「私がパンを浸して渡す者あるいは私と同じようにパンを浸す者」と伝える
「最後の晩餐」 1330 タッディオ・ガッディ(ジョットーの弟子)
⇒修道院の食堂の一番奥に作品を置く習慣を作った最初の作品 フィレンツェ S.クローチェ修道院 付属
中世までは、受難伝の一連の中の一場面として描かれていた。この作品の後、修道院の食堂の奥に大きく一場面だけを描くように変化していく。
その理由はなにか?
中世までは、 見る聖書として一般の人に説明する役割を持っていた。ところが14c以降は、修道士たちの疑似体験(キリストと聖餐式を共にして一体感を持つ)のための絵としての意味を置くようになった。
レオナルドの「最後の晩餐」について
サンタマリア・デラ・グラツツェ聖堂 の外観の映像
奥の円形の建物がブラマンテの設計の部分
修復後の「最後の晩餐」が設置されている修道院の食堂の現在の様子
ヴァザーリが1550に記述している
「すばらしい作品、フランス王が引き剥がして自国へ持ち帰ろうとした。修道院長が作成が遅いのにいらいらしていた。レオナルドが壁の前でじっとしていて絵が進まなかった。頭部を描くのに時間がかかった。キリストとユダの頭部が最後まで描けずに残っていた。修道院長の訴えでスフォルッツァがレオナルドに督促をしたところ、レオナルドが、ユダの顔は修道院長をモデルに描こうかというと、スフォルッツァが大笑いをしたという逸話。
レオナルドは、この絵を描くのに、伝統的なフレスコ画法に従わなかった。残念ながらそれが災いして20~30年後には彩色がはがれ始めた。 キリストの顔は20Cに描きなおしされた。
1520 チェザーレ・マーニMAGNI, Cesare がコピーを制作・・・ミラノのブレラにある。
同時代コピーが何点か残っている
テーブルクロスの質感がすばらしい、リアリティがある。
従来の作品と比較
- タッディオ・ガッティの「最後の晩餐」 サンタ・クローチェ修道院 中央にキリストの磔刑(十字の寓話)パネルの絵その側面に2枚ずつ4枚の絵。 晩餐の絵の上部がキリストの生涯の他の物語の絵の連作になっている
- カスターニョ サンタ・ポローニャ 横長の部屋に遠近法を活用して、テーブルが壁の中に入り込んだ表現。 奥行きと実体感覚がすぐれている。ユダがテーブルの前に配置されている、かつ、その頭上の大理石のタイルの模様が特に目を引くように描かれる。 上層には磔刑、埋葬、復活の絵がある。
- ギルランダイオ(1480) オンニサンテ
- ギルランダイオ(1486) サン・マルコ修道院
この二つには 受難伝に関する他の物語は周囲に一切ない。奥に空間を作って、さらに実際の天井と側壁の延長上にあるようにしっかりと表現した。 レオナルドにつながるイリュージョンが出ている。
ギルランダイオの2枚の前後の判定について・・・・人の表現、遠近法の計算、側壁の切れ目の整合が、オニサンテの方が未成熟、しかしオニサンテの方が実際に見ると絵の質が良いように感じる。サンマルコ後の方が、助手の手が入っている? 後ろを開くことで画面全体の広がりを際立たせている。
- ロッセリ システーナ キリスト伝の一場面としての絵 前に描かれたたらいと水差し、後ろの壁を抜いて向こう側に広がる空間を大きくした。キリストとユダの対応が中心に強調されている。 しかも後ろのキリストについての3つの物語の絵を付属している。
- ペルジーノ サン・フォリーニョ修道院
レオナルドはこれらを全部見た上で(前例を良く学んで)どう描こうかを考えた?
従前の図像では、弟子たちの動揺はあまり表現されていない、キリストが目立たない。
レオナルドが、新しく考えたこと
- キリストの周りに空間を置く
- ユダをみんなと同じ側に並べる
- キリストの後ろに窓を設定してキリストの輪郭をはっきり見せる
- ユダを目立たせることは、画像として良いことではないと考えた
違いのピックアップ
①四人の配置
ユダをテーブルの向こうにした、ヨハネをキリストから離してペテロの側にした。そうしてキリストを真ん中に目立たせた
②使徒たちの表現
以前はテーブルに対して垂直な姿勢で一様であったが、レオナルドはさまざまな姿を作った。夫々リアクションが大きく表現されている。それぞれのしぐさがバリエーションに 富んでいる。3人ずつのグループ分けをした
③全体の構図のまとまり
見る人の立つ位置(=視点)によって壁へのつながりがぴったりする。それが正面ではなく、また1箇所ではないところにレオナルドの思考の深さを感じる。ごく自然に絵画空間を作っている
「最後の晩餐」のための習作デッサンの映像を見る
- 四人の配置は伝統的な配置で描かれている。最初は、他の作品に倣ってユダを前に置こうとした。その後の考察でオリジナルな配置を創作したものと思われる。
- 弟子たちに大きなリアクションを付けようとしている
- グループ分けは二人一組で表現しようとしている。一組二人から三人に切り替えた
ユダの位置を切り替えた理由
中心はキリストにすることが第一であり、絵の中で一番目立つところにおく。伝統的な配置ではユダがどうしても一番目立ってしまう、そこを直した。ギルランダイオの作品にヒントがある、キリストだけに光輪をつけて他は外した。
ヨハネのポーズ
聖書に記述されている5行くらいの会話の中味を、一瞬の間の流れに押し込めた絵。曖昧さを排除しようとした。ヨハネとペテロの会話をしっかりと表現した。{二人の会話する姿}と{キリストがパンに伸ばした手とユダが伸ばした手が同じ部分に向かう}ところを明確に描いた 。
後ろの窓
絵の空間の閉鎖性を開放するに留まらず、キリストの輪郭を明確にして目立たせる効果を持たせた。キリストを中心に!という意識が明確である。キリストの形のピラミッドも意識されたもの
弟子たちの表現
二人一組から三人一組にした。ユダをペテロとヨハネの組にして3人にする構図を考えた?それから2*6よりも3*4の構図のまとまりの良さに気づいた。従来の1+1*12の構図からは大きな構図上の進展であり、絵に躍動感が沸いた。各人の内面のつながりを重視した。
4人以外の弟子たちの表情がオーバーなアクションで表現されている。しかし、全体は良く纏められて、穏やかになっている。キリスト中心が明確で構図の纏め方は秀逸である。
「裏切り」という衝撃的な話をしたときの弟子たちの受け止め方の表現に疑問を持っていた。
(デッサンの段階から考慮されている) 二人一組での会話を表現、後に三人一組に変える
キリストの手とユダの手の扱い方・・手の表情で聖書の内容を示す。
常に”手“を注意深く描く画家である。
ペテロ、ヨハネ、ユダの三人組み合わせの発想から、他も三人組の会話の形に変えたと思われる。
バザーリの記述で・・ユダの顔についてのエピソード
完成が遅れることに焦燥感を募らせていた修道院長が、レオナルドをしきりに急かしたので、レオナルドはミラノの君主ロドビーゴに会った際に、ユダの顔は修道院長をモデルにしようか、と言ったのでロドビーゴが大笑いをした、というエピソードを伝えている
キリストの顔とユダの顔を描くのに、長い時間がかかったといわれる。その証のような話。
ヨハネの姿が女性的であることについて
晩年の作品「洗礼者ヨハネ」を見るとやや女性的な表情になっている。
レオナルドは、人物の表現で、パターンを決めることが多い
「最後の晩餐」のヨハネは、女性にしか使わないパターンを使っていることは言える
・・・・伏し目がち、鼻筋、口周りなど
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余談
レオナルドの「最後の晩餐」1495~1497 と 「ダヴィンチ・コード」上下との関係について
キリスト教の陰謀説的な話 ――あくまでもフィクションである。
伝統的なキリスト教の教え・・・・・・・何時作られたか・・4Cに公認された。
コンスタンチヌスのミラノ勅令(313)以降に規定されていく。
キリストおよびキリストの弟子の記述を聖典として編成(4~5C)した。
聖書は4~5Cに編集されている(そして人工的に後世の手が入った)
基本的な教え・・・・キリスト=神の子→→唯一絶対
アウグステヌスの主張・・・神→神の意志→受肉した子キリスト→
磔刑→復活→昇天(キリストの肉体は今天にある)→再臨(何時か分からない)
「地上に再び舞い降りてくる」(再臨)と言い残した→その時に「最後の審判」をする。
再臨のときは、地球最後のとき?
キリストの王国を作る=「天上のイエルサレム」である。
解剖を許さない訳・・・・最後の審判のために肉体を壊さないで置くことが求められた。
1470に解剖が許されたのは、罪人の肉体のみ(最後の審判の結果が予めあきらか・・(?)という理由からであった。)
「ダヴィンチ・コード」が売れるにはそれなりの訳がある?
再臨について、みんなの関心の源・・年号のキリの良い時期に騒がれる・・1000年頃は巡礼が行われた。今頃(2000年)またそのキリのよい時期と思われている→→「ダヴィンチ・コード」が売れる訳?
ローマ教会・ヴァチカンに対する批判→→キリストについて秘密を隠し通してきた・・・暴きたい・・ 社会の一部に根強くある。
「ダヴィンチ・コード」
キリスト・・・・人の子とする説
キリスト・・ユダヤ人でユダヤ教を信仰している人
「創世記」でアダムに神が言ったこと「生めよ増えよ」・・・聖書に良く出てくる言葉
結婚していたはず・・・結婚相手はマグダラ出身のマリア(聖書に出てくる)・・子供も居たはず。という考え方。
キリスト教では異端とされているが、常に話しに上ってくる説である。
聖典から外されたが、元の記述の中にあるもの・・・を追求したがる。
その子孫は今も居る、とする・・・隠し通している団体が今もある、と考える。
2000年を機に、これを明かそうとしてヴァチカンから圧力・・・殺人も起きた、と設定
「シオン修道会」(本当に活動していたか不明のこと)
マグダラのマリア 復活の際に最初に出会う光栄を得た女性 「Noli mi Tangere」で知れる。また、 「ラザロの蘇生」の奇跡をもらった。
聖杯伝説 聖杯は「最後の晩餐」の際にワインを注いだ杯
ワイン・・・キリストの血
パン・・・・・キリストの肉 聖体・・・キリストの身体を自分の身体に入れる
「聖餐式」(聖体拝領)==ミサ と呼ばれる。
「ダヴィンチ・コード」の説では
聖杯はキリストの血脈として今に引き継いでいる==子孫 (異端)
レオナルドは1495年前後に「最後の晩餐」をこのような意図で描いている と
- キリストの右側に居るのはヨハネではなくてマグダラのマリアである
- キリストの周囲の空間 V字型・・聖杯を意味する ・・マトリモーニオ(結婚)を象徴
- M字型・・マグダラのマリアの象徴
と設定して、関心をあおることで、読者を引き付けようとする。
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盛期ルネサンスの絵画(その四) 了
次は
盛期ルネサンスの絵画(その五) レオナルドの第2次フィレンツェ時代の作品を見る。
勉強になります。続き(盛期ルネサンスの絵画(その五))はいつぐらいになりますか?楽しみにしています。
dawdauさま
ご覧いただきありがとうございます。(その五)については、レオナルドが1499年にミラノを離れてマントバ、ヴェネツィア経由フィレンツェに戻りますが、その頃から「聖母子と聖アンナ」、「モナリザ」「ヨハネ」に見られる女性の顔の表情の神秘性の飽くなき追求(子を産む喜び、それを早くに失う悲しみ、それらを克服して高い精神性を帯びた女性の神秘とでもいえる複雑で美しい顔の表情)過程を書きたいと思っております。その後はミケランジェロ、ラファエロを少し時間をかけて書き、そこからヴェネチア絵画に進める構想です。地域の用事が増えたりして実はさぼっておりました。コメントを頂いてやらなきゃいけないと思いなおしました。少々時間をください。