後期ルネサンス絵画の展開(その二)-カラバッジョ後期           9 

後期ルネサンス絵画の展開 カラヴァッジョ(1606年以降)

いよいよオラトリオの中に。ここから写真は禁止。

正面にカラヴァッジョの「ヨハネの斬首」1607~8年。彼の傑作中の傑作。

この絵の完成によって入団が許された。お金の換わりに絵を描いた。入団を許可するに当たって殺人のことがあるために、アロフ ド ヴィニャンクールは2回にわたってローマ教皇に手紙を書いた。パウロ5世は許可を出す。08,7に入団。

聖ヨハネ看護修道会。ヨハネは人々に洗礼を与え清める。それにより新たなる人生を出発させる。

カラヴァッジョは、ヨハネを主題とする中で何故この場面を選んだか?

ヨハネが首を切られた。キリストの教えを広めていたが、ヘロデ王に咎められてキリストのために殉教した。この物語と、騎士団員(オラトリオの左側にお墓がある)がイスラムとの戦いの中でキリスト教のために殉教したことへの哀悼を、ヨハネと騎士団員を重ね合わせて表現したかった。

他に、1606年チュニジアでイスラム教との会戦がありマルタ騎士団が捕虜になった。救済のためにお金が必要になり、オラトリオの中に救済銀行が置かれた。これを意識していた。絵の中の右の二人はこの話を取り込んでいる。包帯の男の話が伝わっている。

祭壇の側面の両側の2枚はMattia Pretiが描いた。元々はここが窓であった。カラヴァッジョはこの左下の窓から入る現実の光の効果をきっちりと意識して描いた。Mattia Pretiはカラヴァッジョの余りの上手さに嫉妬して窓を塞いだとも言われている。

実際に描かれたその空間で実物を見ると、写真の絵とでは大分違って、この絵の写実性の高さを実感できる。この絵の構図の意図もなるほどと合点できた。上を大きく開けた空間の中に、主役の4人が右側に寄せて描かれたことで、絵の世界と現実の世界とが自然に溶け込んでいて、そこで今現実に行われているかのように見える効果を出している。暗い茶色系が全体を覆っているのもこの空間でこそ自然の調和が保てているように理解できる。中央下に描かれたヨハネの衣の赤の色の鮮やかさ、皿を持ってヨハネの首を待つサロメのメイドの上半身の衣の白とそれに連なる皿を持つ右腕の肌色の明るさが、光を受けて輝くように浮き上がっている。今まで見た写真による絵では感じることが出来なかった鮮やかさ明るさが目に焼き付くようだ。処刑を執行する男の屈みこんだ裸の背中の逞しくつやのある肌がこれも光の効果でクローズアップされて残酷な現実を否が応でも見せ付ける。それに対照的に、管理者のような男が厚めの半纏を着て腰に鍵を下げて指で指図するポーズが、額と右手の甲に当たる光の効果もあって冷徹な執行人の、処刑執行を急かせるその内心をも感じさせる。一人老婆だけが手で顔を覆い恐怖と悲しみの人間的な感情を示している。顔はうつむいて見えにくく描かれているが、その髪の毛の白い筋と腕と襟の周りの古着の白い筋が年齢の刻みと共にその人間らしい感情を強く表現している。カラヴァッジョの構図と色彩と光の使い方は、現物を見て、その凄さをより深く認識できた。

現在オラトリオの左上の窓が閉ざされて光が入らないようになっている。絵の保護のためか?(カラヴァッジョのもともとの現実の光を意識した、また実際のこの明るい空間を充分に配慮しようと言う意図がやや薄れてしまっているのでは?)

最近フィレンツェで修復したばかりで、状態がとても良い。

 

KuniG について

日々見聞きする多くの事柄から自己流の取捨選択により、これまた独善的に普遍性のあると思う事柄に焦点を当てて記録してゆきたい。 当面は、イタリア ルネッサンス 絵画にテーマを絞り、絵の鑑賞とそのために伴う旅日記を記録しよう。先々には日本に戻し、仏像の鑑賞までは広げたいと思う。
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