盛期ルネサンス絵画の展開(その二)

盛期ルネサンス絵画の展開(その二)--サンドロ・ボッテチェリ BOTTICELLI, Sandroの作品について--

Italian painter, Florentine school (b. 1445, Firenze, d. 1510, Firenze)

ボッテチェリの略歴

1444 or 1445,フィレンツェに生まれる。レオナルドより6~7歳の年長である。

  • 20歳の頃、フィリッポ・リッピの工房に入る(~1467年)
  • 1467年ごろ ヴェロッキオ工房に入る
  • ‘70~‘81  [初期]の作品の時代
  • ‘81~‘82    システーナ礼拝堂の 側壁フレスコに従事
  • ‘82~‘90    [第2期] 作品が多くなる「ヴィーナス誕生」「春」など
  • ‘90~   [第3期] サボナローラに傾倒
  •                              91サボナローラがサン・マルコ修道院長となる

[初期] の作品を見る

Fortitude. c.1470. Tempera on panel. 167 x 87 cm  By Alessandro Botticelli. Galleria degli Uffizi,  Florence, Italy

「剛毅」1470   ウフィチ

アルテ・デラ・メルカンテ=商業裁判所 ( the Tribunale della Mercatanzia=経済上の係争を裁く)は1469年に ポッライオーロ工房に「美徳」のテーマで7つの擬像を発注した。

[美徳]

  • 対神徳 =  信仰/慈愛/希望
  • 枢要徳 =  正義/剛毅/賢明/節制

ヴェロッキオ工房との取り合いになりトラブルに発展、結果、7つのうち「剛毅」のみが、ヴェロッキオ工房に発注され、1470年にボッテチェリが納品した。

ポッライオーロ工房の他の6点の擬像の内3点をボッテチェリと比較してみる。

 美徳  剛毅を除く6点中の3点

信仰(Faith)/慈愛(Charity)/節制(Temperance)を観る。

 

上図左から信仰(Faith)、慈愛(Charity)、節制(Temperance)夫々 1470

Tempera on wood, 167 x 88 cm By POLLAIUOLO, Piero del Galleria degli Uffizi, Florence

アトリビューション(象徴)の説明

  • 信仰:十字架と聖盃、白い衣/
  • 慈愛:子供・乳・火、赤い衣/
  • 希望:手を合わせて上を見る、緑の衣/
  • 正義:剣・地図・円・球(丸い)秤の場合もある/
  • 剛毅:甲冑を着た女性像、武装・・(フォルテッシア;強さ=異教徒を意識)
  • 節制:壺・水差し・酒を水で薄める/熱い気持ちを抑える、興奮を宥める責任
  • 賢明:鏡・蛇(旧約聖書で賢いもの)

語は、女性名詞・・したがって女性像

ウフィチには7つを並べて展示してあり、[剛毅】=ボッテチェリだけが様式が異なることが見て取れる。(ボッテチェリもまた、盛期とは異なる様式が見て取れるはず・・)

        「剛毅」ボッテチェリ と 「節制」ポッライオーロ を比較

                     上図左「剛毅」  と     上図右「節制」

視点

  1. 人物を見るー顔と身体のバランス、つながり/
  2. 半円状のアーチの下で玉座に座るー玉座と人物のつながり/
  3. 後ろの壁や床の構図を見て、この表現を彫像性 生き生きとしているか?(時代の流れを汲み取っているか)ボッテチェリは、足の部分で、衣の描写を工夫して肉体の膨らみが出ている。これを吸収する工夫がボッテチェリにはある。自然な空間表現が生まれる
  4. 部屋をあえて描かないのもひずみを生まないためのボッテチェリの工夫である。
  5. ポッライオーロ工房の絵は、縦長の画面に線遠近法を無理に使ってひずみが出ている。その点「剛毅」がしっかりしている。
  6. 彫像性 生き生きとしているか?(時代の流れを汲み取っているか)「剛毅」はモニュメンタリティーがしっかりしている。

ボッテチェリは、足の部分で、衣の描写を工夫して肉体の膨らみが出ている。ポッライオーロ工房の絵は、縦長の画面に線遠近法を無理に使ってひずみが出ている。これを吸収する工夫がボッテチェリにはある。

部屋をあえて描かないのもひずみを生まないためのボッテチェリの工夫である。自然な空間表現が生まれる。  下記「信仰」との比較においても同様のことが言える。

            

       剛毅      と     「信仰」  と比較

「バラ園の聖母」 後ろのバラは、ヴィーナス(愛)を象徴するアトリビューション。

Madonna of the Rosegarden (Madonna del Roseto)
1469-70  Tempera on panel, 124 x 65 cm
Galleria degli Uffizi, Florence

全体の構図、細長い画面の使い方、頭の彫像性、衣を余らせるなどはリッピの影響がある。ウルビーノにあるヴェロッキオの聖母と比較すると様式的に見て顔の表現が似ている。ヴェロッキオから影響を受け初めてている。

「ユデイトの帰還」、「ホロフェイネスの遺骸の発見」 ウフィチ 2点を見る

The Return of Judith to Bethulia  c. 1472
Oil on panel, 31 x 24 cm  Galleria degli Uffizi, Florence

The Discovery of the Murder of Holofernes  c. 1472
Tempera on wood, 31 x 25 cm  Galleria degli Uffizi, Florence

これらは、「ヘラクレス」と同じ場所に展示されている。主題はユダヤの町「ベツリア」がアッシリア軍に包囲されたとき、ユデイトが勇敢に町を救った物語である。

描いた背景

シスト4世が教皇に就任 彼は、教皇庁を拡大しようとした野心家であった。「教皇庁に対するフィレンツェ」を、「ベツリアに対するアッシリア」に重ね合わせた。

様式上は「ユデイトの帰還」 二人の姿勢や動きのつながりが良い。ヴェロッキオ工房と共通のもの。ヴェロッキオの「トビウス」と比較してみると良く分かる。背景もヴェロッキオ的である。

       Tobias and the Angel By Verrocchio c.1470

ボッテチェリの工夫について

  • 線の表現 衣の襞の線を工夫して、リズム感を出している。美しさを線で表現しようとするのはリッピの影響であり、「ヘロデの宴」の踊るサロメと似たものがある。
  • 「ユデイトの帰還」の手にもつ月桂樹は勝利の象徴。斜めに入ってくることで、反復されるリズムが出る。木の枝の隣かい線の描き方も同じリズムの反復になっている。
  • プラトータイプを用い、かつ前景に木を置いて、より深い奥行きを感じさせる。

 「書斎の聖アウグスティヌス」 ボッテチェリ オニサテン聖堂(下右)    St Augustine  1480 Fresco, 152 x 112 cm、 Ognissanti, Florence 

   

St Jerome in his Study  1480  Fresco, By Ghirlandaio 184 x 119 cm   Ognissanti, Florence(上左)「聖ヒエロニムス」 ギルランダイオ オニサテン聖堂(`80:真向かいに描かれた)と比較。ヴェロッキオ工房の影響がある。

(レオナルドも同じ頃に同じ主題で描かれている。ただし未完に終わる。)

St Jerome  c. 1480 Oil on panel, 103 x 75 cm    By Leonardo da Vinci, Pinacoteca, Vatican

レオナルドのすごさを最初に認めたのはボッテチェルリであり、自分の作品にとりこむ

強い彫像性が発揮されている。強い顔の表情。(アウグスティヌスアフリカの司教を意識的に表現)。ギルランダイオよりも表現が強く感じられる。

注::教会博士(ラテン語: doctor ecclesiae)は、キリスト教ローマ・カトリック教会において、聖人の中でも特に学識にすぐれ、信仰理解において偉大な業績を残した人に送られる称号。古代世界において活躍した偉大な4人の教父、

  • ラテン教父のアンブロジウス
  • ヒッポのアウグスティヌス
  • エウセビウス・ヒエロニムス
  • グレゴリウス1世教皇(大聖グレゴリウス)

 

「マニフィカートの聖母」 ウフィチ  半身像のマリア像

Madonna of the Magnificat (Madonna del Magnificat)
1480-81  Tempera on panel, diameter 118 cm
Galleria degli Uffizi, Florence

幅が広く、横斜めの構図。人体像がやわらかくなる。首の傾きなどに工夫がある。

ダ・ヴィンチの「ブノアの聖母」を意識したものと思われる。

「書物の聖母」の構図が良く似ている。

Madonna of the Book (Madonna del Libro)  c. 1483
Tempera on panel, 58 x 39,5 cm   Museo Poldi Pezzoli, Milan

「書物の聖母」  ポリディ・ペゾッリ  ミラノ

キリストが茨の冠を現す3本の針を手に持つ。これは『死』の象徴。このアトリビューションによって二人の関係を内面的に表現する。見るものに感情移入させる工夫がされている。弟弟子(レオナルド)から多くを学んだことを示している。

 

リッピの「聖母子と二人の天使」を比較

. 

 

二つの聖母子の流れを見ると弟弟子のレオナルドへの意識が強まっていることが感じられる。

 

 

初期の特徴 整理

初期の様式  25歳のとき

  • 「剛毅」 美徳の擬人像、
  • 「バラ園の聖母」       1470年頃

特徴

  1. しっかりした人体表現–彫像性の強さはリッピの後ヴェロッキオに学んだ
  • 「ユデイトの帰還」 
  • 「ホロフェルネスの遺骸の発見」  1470~75

特徴その2

  1. プラトータイプ–コンポジション(構図)と空気遠近法
  2.  風に舞う衣の表現

 ボッテチェリ 第2期の絵画

システーナ礼拝堂の後の変化について

初期の後半の段階でボッテチェリはレオナルドの出現を目の当たりにした。ヴェロッキオ工房に入って来たレオナルドの類稀な才能を最初に気付いたのは、ボッテチェリである。その衝撃を残したまま出向いたヴァチカンで、ペルジーノとの競合をも意識したボッテチェリは、新しい時代の流れを作る何か独創が必要と痛切に思ったのではないか。

 天国の鍵の授与  ペルジーノ システーナ礼拝堂

  

ボッテチェリの三つの絵(いずれも部分)

参照 「Cappella Sistina」 システーナ礼拝堂の側壁装飾 へ

システーナ礼拝堂の三つの側壁画は時代の流れに逆らい始めたことを感じさせる。ボッテチェリはシステーナの期間に心境の変化があり、彼の様式上の変化をした。

ヴィジュアル的に綺麗であることが、見るものを引きつける要点と考えた。それは、すなわち、

リアルに再現する要素と、それとは対照的に幻想的な美しさを表現することとを併せ持つ絵に新しい美を見出した。[幻想的な美しさを表現] は絵画の中でできる特徴(絵画でしか出来ない表現)であると気づいた。そして、細かい装飾的な描写、線の美しさ、髪の表現など非現実的な美しさを主要な要素にして、余計なものを消し去って美しいところに集中して描写するところにト発展していった。

主題の多様化について

1482~1485異教徒的主題を取り上げている。異教の神々(ヴィーナスetc)を描くことの意味?ギリシャ、ローマの神々の物語は、人間のさまざまな側面を反映させたもの、と考えた。

愛、戦い、理性、欲望・・・・・etc

キリスト教の神とは異なる人間の異なる側面の表現であり、・・称えることではないと。 このことは、ヴェッロッキオから意識されだした。

当時、ギリシャ神話のアプローチとしては、「新プラトン主義」== プラトンの考えをプロティノス(3世紀)が発展させた。

万物の本源である「一者」からあらゆる実在が階層的に「流出」し,より低い階層はその上位のものの模像であり,より複雑,不完全である。万物は「観照」によって一者へ階層的に回帰することを欲し,この上下2方向への運動が実在を構成するとした。

天上界に理想の世界がある・キリスト教に近い、・・イディア。そして現実の世界(地上界)は、その不完全な写しである。地上の世界では、限りなく理想の世界に近づこうとする。 そのエネルギーを エロスという。

いろいろなものを二つに分けるという考え、たとえば 理地的←→感情的

ネオプラトニズムはイタリア全土で研究されたが・・・フィレンツェが一番進んでいた。フィレンツェ郊外のカレッジ、メディチの館が中心 コジモ・ディ・メディチ(1439~)が創設、 1460年代に盛んになる。

アカディミア・・・古代文明研究の場、ボッティチェリはここで学んだといわれる。

「パラスとケンタウロス」

Pallas/Camilla and the Centaur  c. 1482
Tempera on canvas, 205 x 147,5 cm  Galleria degli Uffizi, Florence.

この絵は、上記の「新プラトン主義」的な考えと関係がある。

ボッティチェリの異教を主題にした絵を見ながら、何時の時代に遡ってこの主題に入っていったか?

「春」 及び  「ヴィーナスの誕生」

「春」「ヴィーナスの誕生」は1490代には、ピエロ・ディ・メディチの館にあり並べて飾ってあった。しかし連作ではない・・・・その理由

「ヴィーナスの誕生」はキャンバスに描かれたが「春」は板に描かれた・・・・・・・・・・・・・・・・材料が異なる。

絵のサイズ(大きさ)が縦、横とも30㎝ほどの差があり微妙に異なる。

ウフィツでは一応離して展示してある。

(しかし連作であるという意見も根強くある)  ヴィーナス像が裸と着衣で違えてある・・を根拠にしている。誕生してまさに地上に降り立つ瞬間(裸)と地上に落ち着いたあと(着衣)とを表現したとする。

「ヴィーナスとマルス」(1483~85)                      Venus and Mars  c. 1483  Tempera on wood, 69 x 173,5 cm
National Gallery, London

やさしく見守る愛の神と無防備に眠る裸のマルス(戦いを終えて休む姿)・・「愛」が「力」に勝った瞬間を描いた。

サティオス;山の牧神=半分山羊  「愛に屈する」を象徴

ヴィーナスが軍神マルスに勝利・・・神話から発見した。

神話をそっくり描くのではなく、画家の思惟する人間の本質を描く。愛する気持ちを上に持っていくことを意識すると理想的に生きられる・・「新プラトン主義」を学んだところから発想した。

 「ケンタウロスとパラス(ミネルバ)」 は欲望と理性を象徴、知性が欲望を支配する。理性が本能を抑えることが出来れば理想的な生活が出来る。二元対立の考え

同時期(3年の開きがある)にこのような絵が描かれていることを考えて、「春」と「ヴィーナスの誕生」は、組で描かれたと言う主張である。

 

「プリマヴェーラ(春)」 1482年

主題 「プリマヴェーラ(春)」の絵にぴったりした話が神話にあるわけではない。

Primavera  c. 1482
Tempera on panel, 203 x 314 cm  Galleria degli Uffizi, Florence

主題の物語は右から左へと展開する。

ゼヒロスがクロリス(大地に精)を襲う、

襲われたクロリスは花を口から吹き出す。

着衣のクロリス:西風とクロリスが同体になりクロリスはフローラに変身する(同一人物)

クロリスは裸体に近いがフローラに変身した後は着衣で花を一杯持っている//春の到来を象徴。

左の男性:メリクルース(ヘリメス)・・通信と商業の神であり、・・ゼウスの忠実な家来・・ゼウスの意志を忠実に伝える神である。そのメリクルースが枝で上を指し示す、そのところに黒い雲がある。黒い雲を追い払う姿を描いた・・冬の終わりを告げる意味がある。

ヴィーナスの上部には、クピドが描かれている・・愛の矢を当に放つ瞬間を描く。

矢の先には、3人の女性・・ヴィーナスの下女==3美神 「グラーティー(恩恵)」

授ける人、受ける人、返す人 表現している。

単に恩恵ではなく、別のことを言おうとしている。三人の手がリズミカルに表現されている。

真ん中の女性だけが質素である・・美しいが質素・・真ん中の女性が純潔を表す。左側が愛に目覚めた後の姿。右側の女性・愛に目覚めた方の手を上げて、純潔の方の手を下げていることが象徴するもの=美である。

この3人の姿で、愛の3段階を表す。すなわち、 純潔→愛→美 である。

「春」は現実的な愛の姿を表現している。

 

「ヴィーナスの誕生」 1485年

主題 この絵の中の物語に似たような話が、神話の中にある。プラトンが「饗宴」の中で言及している二人の異なるヴィーナスに関する物語。

The Birth of Venus  c. 1485  Tempera on canvas, 172.5 x 278.5 cm

Galleria degli Uffizi, Florence

主題 ウラヌス(天上界)が息子クロヌスにペニスを切られる。そのペニスが天上界から海に落ちて泡となった。

その泡からヴィーナス(アフロディティ)が生まれ、貝に乗って地上に向かう。

ゼヒロス(風の神)が後を押した、ギュロス島に到着。時の女神ポーラが着物を着せて、時間のある現実の世界へいざなう。

時の女神ポーラが裸のヴィーナスに衣を着せようとしている。ポーラの動きのあるポーズ、着せようとするマントの翻りの様子など絵画的な美の表現である。

彼は、リアルに再現する要素と、それとは対照的に、幻想的な美しさを表現とをあわせ持つ様式に変化させていく。

幻想的な美しさを表現――は絵画の中で出来る特徴であると考えた。(絵でしか出来ない

20年ほど前に描かれた師匠リッピの ヘロデ王の宴で舞うサロメのからだのひねりやポーズ、衣のフレアなどにそのイメージの元がある。

もう一人のヴィーナスはホメロス「イリアス」からの物語でゼウスと妻ディオネとの間に生まれたヴィーナス。プラトンはこの二人のヴィーナスの内、前者を天上のヴィーナスとして、精神を求める理想の愛とし、後者を世俗的ヴィーナスとして、肉体を求める世俗的なヴィーナスとした。

 

「ヴィーナスの誕生」の方は、時間のポーラが裸のヴィーナスに衣を着せようとしていることから、地上に上陸する前のヴィーナス、時間の制約を受ける前のヴィーナすなわち天上のヴィーナスを表現している。

二つの絵で、天上界のヴィーナスと地上界のヴィーナスを表現しているとして、二つは連作であるとする説が根強くある。

 

「聖愛と俗愛」という主題の絵を ヴェネティアのテチアーノが描いている。Sacred and Profane Love   1514 By  TIZIANO Vecellio
Oil on canvas, 118 x 279 cm  Galleria Borghese, Rome

左側に着衣 右側に裸のヴィーナス、傍らにクピドが石棺の水を汲み上げている。薔薇が切花で鏤められている・・切花ははかない愛を表す。

2匹のウサギ・・発情期のない動物であることから欲望を象徴する。

白:信仰 赤:慈愛  を夫々象徴

このプラトンの二人のヴィーナスから「春」と「ヴィーナスの誕生」は連作であり、「聖愛と俗愛」を表現しているとする説。

一方、連作ではないという説

裸のヴィーナスと着衣のヴィーナスは連作ではない。“誕生”が油彩で “春”がテンペラ サイズも若干違う “誕生”が小さめ。描いた時がも82年と85年と異なる。  しかし、ボッテチェリが後で頼まれた「誕生」を発想する際には、前に描いた地上のヴィーナスに対して天上界のヴィーナスを描いて対にしようしたのかもしれない。

二つの絵では、ゼヒロスとクロノスが、「一心同体の形」と「分離した形」とで描かれる、その意味は?

プラトンの説明  何故人間は愛するか?元元一体であったものが、分かれたためにもう一度一緒になりたいと思う。「アンドロギュノス」 頭二つ、手が4本、足が4本の生き物から人間は別けられた。元に復したいため互いに求め合う。このことを表現したと考える説。

春には、登場する場面や人物そのポーズなどに謎が多いことから今でもいろいろと解釈がある。

初期の絵 「受胎告知」と システーナ後の絵 「春」との様式の比較

受胎告知  春
遠近法

人物描写が正確

水平化

人物描写が幻想的

装飾的

「マニフィカートの聖母子」ウフィツ 81年前 システーナの直前の絵。周りの天使の表情が少しパターン化されている気がする。システーナ後の「春」ではまったく違う様式を現す。

受難の象徴である柘榴を持つ =赤色と種=受難と増殖

この作品と 柘榴の聖母子 トンド がウフィチで近くに展示されている。

 Madonna of the Pomegranate. c.1487.

Tempera on panel. Galleria degli Uffizi, Florence, Italy.

 

 

Madonna and Child with Eight Angels (Tondo Raczynski). c.1478. Tempera on panel. Staatliche Museen Preubischer Kulturbesitz, Gemaldegalerie, Berlin, Germany.

 「トンド・ラチェンスキー(聖母子と8人の天使ッチ)」1478

「マニフィカート」1481 および

「柘榴の聖母子」1487との比較

右の青年の描写に着目。一般的な主題でもシステーナの後変わってくることが分かる。

注:「トンド・ラチェンスキー」1478について

キリストが見る者のほうに目を向けている(マリアも同じ)

構図は左右対称に拘っている。

天地たちが純潔の象徴のゆりを持つ

マリアは正面を向見るものの方に目を向けている

「マニフィカート」1481

マリアとキリストの精神的交流を深めようとしている。体のプロポーション

前は、―――正面向きで動きを止めている、表情も無表情で奥行きが消されている。

「マニフィカート」では、―――身を傾け、動き出すような感覚がある。空間で奥行きを出す。

レオナルドの「キリストの洗礼」の中の天使の表情と比較してみる。

レオナルドには敵わないとの意識がある? 7才年下のレオナルドがますます気になった? 構図が似ている。

Adoration of the Magi  1481-82
Oil on panel, 246 x 243 cm  Galleria degli Uffizi, Florence

マギの礼拝 レオナルド  82 ミラノに行く前

ボッテチェッリはこれをシステーナから帰ってきて、見ることになった。ヴェロッキオ工房からの自立を確定したこの作品の質を見た時のボッテチェッリの{衝撃}を想像する。

システーナでのペルジーノの影響とシステーナから戻ってのレオナルドの才能に対する感じから、彼は、明確に、装飾重視に姿勢を変えた、と考えられる。

ヴィーナス二点(主題が異教徒の話)の 様式 について

主題の選択が特徴的である。この頃フィレンツェでは古代研究が成果を見せ始めていた時期。

古代の神々のこと、プラトンの考え方が分かってきていた。人間とは何か 古代では人間をどのように考えていたのか、見えてきていた。

“愛”が最高のもの。理想世界と現実世界、 理想の愛と現実の愛、 この2点でボッテチェッリは考えようとしている。

「ヴィーナスの誕生」 主題のこと 永遠の愛を表している。ヴィーナスの誕生」の絵の中の物語は、ギリシャ神話に似た話がある。プリマヴェーラ(春)」 ぴったりした話が神話にあるわけではない

「春」 の主題 要約

ゼヒロスがクロノスを略奪することで春が来る。花が咲く。ゼヒロスはクロノスと結ばれてフローラ(花)になる。右 メリクリウスが 黒い雲を追い払う。 メリクリウス=(伝達の神)

様式   この作品から様式を大きく変える、1482年。

システーナから戻ってこの絵を描いた。それまではヴェロッキオ様式。ここから非現実的な身体表現になっている。

「バルディ家の祭壇画」を、同じ頃の「岩窟の聖母子」 ルーブル フランス 比較する。 83に注文を受けた。

  

聖母の姿が 装飾的で、細長く、乳首の位置も装飾的、背景を塞いでいる。

70年代と80年代の様式の差

「マニフィカートの聖母」と「柘榴の聖母」 の2作で比較すると良く分かる。“マニフィカート”を描いたのがシステーナの前、そして数年後に、ベッキオ宮のために“柘榴”を描いた。

マニフィカート  70年代末頃

柘榴       80年代後半

マニフィカートが自然な身体表現であるのに対して、柘榴のイエスの身体の長さ、マリアのなで肩など絵画的に誇張した部分が見える。

また、天使を左右対称に配置して構図の安定を図っている。マリアの表情を強くメランコリーにして観る者に将来のキリストの受難を思い起こさせるなど絵画的に人工的な工夫が入る。

第3期 90年代のボッテチェリ

ボッテチェッリの晩年の10年の表現は極端になっている。

ボッテチェッリ晩年の作品のいくつかを見る

82年にシステーナから戻って装飾的で静かな絵に変わったが、90年代に入ると感情が爆発したように「ひずみ」が出てくる。構図の安定性と人間感情の表現のバランスが外れて、人間の感情を重視した。これをレオナルドが手記で批判している、バランスを崩してはならないという考えがある・・

主題も、古代の神々を描かなくなり、代わりに聖書の中の物語や登場人物を中心以に描くようになる。

サボナローラの影響 サボナローラは神の掲示によりとして、贅沢な暮らしや異教の神々を称賛した芸術を強く批判した。1500年が近いことや周辺の不安定な時代背景との関係から影響力は広まった。ボッテチェリの兄はその熱心な狂信者の一人であったという。そうした中でボッテチェリもサボナローラの説教に影響を受けていいく。

次第にマニエリスム的な技巧的な表現になる。表情やポーズによって内面を描き出そうとする。

「受胎告知」 (カステッロの受胎告知)  1489~90

Cestello Annunciation   1489-90
Tempera on panel, 150 x 156 cm  Galleria degli Uffizi, Florence

マリアの姿が弓なりに反らしてやや人為的なポーズ。(戸惑いのマリア)

フィリッピーノ リッピは ボッテチェッリのこの様式を受け継いだ。

ピエタ 1495

Lamentation over the Dead Christ   c. 1495
Tempera on panel, 107 x 71 cm  Museo Poldi Pezzoli, Milan

サンタ マリア マッジョーレ聖堂(フィレンツェ)のために描かれたと考えられている。マリアは膝に息子のイエスを抱きかかえながら衝撃のあまり失神してしまい、イエスからマリアを託されたヨハネに支えられている。イエスを愛したマグダラのマリアはイエスの足元に身体をまげて顔を摺り寄せている。空間は閉ざされており、見るものの視線は手前の人物像に集中する。それぞれが心の感情その表情の中に表されている。これは当時のフィレンツェの主流の様式から明らかに離脱している。

アペレスの中傷

夫々の登場人物の性格などを表情やしぐさで表出しようとするなど同じ流れの絵である。

1500年以降ボッテチェリは絵を描かなくなってゆく。

ボッテチェリ  終わり

KuniG について

日々見聞きする多くの事柄から自己流の取捨選択により、これまた独善的に普遍性のあると思う事柄に焦点を当てて記録してゆきたい。 当面は、イタリア ルネッサンス 絵画にテーマを絞り、絵の鑑賞とそのために伴う旅日記を記録しよう。先々には日本に戻し、仏像の鑑賞までは広げたいと思う。
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