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初期ルネサンス絵画の展開(その二)
1430年以降 マザッチョに続く時期
フラ・アンジェリコ
ANGELICO, Fra (b. ca. 1400, Vicchio nell Mugello, d. 1455, Roma)
フラ アンジェリコという名まえは、「天使のような修道士」という意味のあだ名。彼の死後14年以上経ってから呼ばれるようになった。バザーリの美術家列伝に書かれてから一般的になった(1550)。俗名はグイード ディ ピエロ 14世紀末の生まれ。1425年より前にドメニコ会の修道士になった。聖職者になる前、1417年ごろには画家として活動していたという記録がある。 基準作は、1433年の リナイオーリ祭壇画。
修道士として神への仕えの精神が底にあるので、マザッチョのようなリアリティではなく、畏敬(形式)の姿を表現。基本はロレンツォ・モナコにおいている。
受胎告知(3種ある)を鑑賞し、師匠である L.モナコ(金地背景)と比較してみる。
- The Annunciation 1430-32
Tempera on wood, 194 x 194 cm Museo del Prado, Madrid -
この絵は基準作といわれるリナイオーリの少し前の作品であるが、帰属は明確ではない。同一パネルのプレデッラには聖母の物語が5場面(各23*35cmの小さな枠)が描かれている。プレデッラを含めて絵の質の高さから彼であろうということ。もとはフィレンツェの郊外のフィエゾレのサント ドメニコ教会にあった。17世紀の初めにスペインに売られて今プラドにある。建築モチーフにはルネサンスに向かう線遠近法が用いられ中央奥の部屋には長椅子が見えるなど世俗的要素を加える一方で、金箔の贅沢な使用や天使の羽の色彩など中世の装飾性を継承している。コルトーナ、サン マルコの同主題の絵の構図の原型といえる。
- 受胎告知の話は ルカ伝 1章 26~38節にある。
- 天使がマリアのもとに訪れ、キリストを身ごもった事を告げる。
- (話の展開)
- 1.天使ガブリエル 「主があなたと共にいる」
- マリアが戸惑う
- 2.ガブリエル 「マリアよおめでとう、あなたは身籠って男の子を産む」
- マリアは反論する 「そんなはずがありません。私は男の人を知りませんから。」
- 3.ガブリエル 「聖なる神には不可能なことは一つもない。」
- マリアはが受け容れる「私は神の端女です。あなたのお言葉のように私におきますように」と祈る
- 画家たちが3段階のどの部分を描くかによって図像が異なってくる。
- [受け入れ]は、ジョットが最初に採用した。アンジェリコもジョットの流れを踏襲して受け入れの図像である。
Annunciation 1433-34
Tempera on wood, 150 x 180 cm Museo Diocesano, Cortona
プレデッラに マリアの生涯 5場面がまとめられて描かれている。ブレーシャのサンタレッサンドロ聖堂のために受胎告知を製作していたもののこの聖堂には納められなかったと言うことが分かっている。
この絵はそのブレーシャに行くはずのものであったのではないかと言われている。ロレンツォ モナコの様式を踏襲している。図像、色彩特に大天使の羽根の細かな装飾及び理想化された優美な人物像、箱型の建築モチーフなど、一方、線遠近法も取り入れているが、消失点は左端に寄せている。マリアは胸に手を当てて[受け入れ]の姿勢を見せている。
The Annunciation 1442-43
Fresco, 230 x 321 cm Convento di San Marco, Florence
サン マルコ修道院の2階北回廊の壁にかけられている。下から階段を上がってい行くと目の上に掛けられていて、訪れた人の心を魅了する。
階段を上がってゆくと段上の突き当たりに見える。階段を上るときは、「アベ マリーア」と唱えながら膝まずいて入るのが習慣であったという。そのためにこの場所に掲げられている。ガブリエルのような姿勢で「アベ マリーア」と唱える。遠近法の消失点は下から見上げるように見ることを考えて描かれた。階段の踊り場付近から膝まずいて見上げると目の前の階段から絵の中に繋がっているように見える。
天使の羽の色彩や天使ガブリエルとマリアには後輪があるなどモナコの影響を残すものの建築モチーフの線遠近法の消失点は中央に置かれ正確さが増している他、人物の彫像性も写実性を増している。1430年代前半の前記二作品とは、大きい違いがある。
「受胎告知」 フラ アンジェリコ 1450頃 僧坊2階はドミニコ修道会の修道士の居住空間 北側一番左端、東側との角に近いところにある。
ロレンツォ モナコ の 聖母戴冠
The Coronation of the Virgin 1414 by LORENZO Monaco
Tempera on wood, 450 x 350 cm
Galleria degli Uffizi, Florence
フラ アンジェリコに戻り、十字架降下、キリストの磔刑(サン・マルコ修道院の壁画) を比較しつつ鑑賞しよう。
Deposition from the Cross (Pala di Santa Trinità) 1437-40
Tempera on panel, 176 x 185 cm
Museo di San Marco, Florence
モナコの影響が残っている作品。人物の彫像性は写実的であるが、玉座の描写や人物たちの背景になる空間構成、それに衣の長さや振り方に国際ゴシック様式の流れを継承している。
キリストの十字架に礼拝するサンドメニコ
Saint Dominic Adoring the Crucifixion 1441-42
Fresco, 340 x 206 cm Convento di San Marco, Florence
サン・マルコ修道院では、1430代の「リナイオーリの祭壇画」と僧坊の1440代の壁画(40枚ほど)を実際に比較して見ることが出来る。
僧坊のフレスコ画
僧坊はコの字型に部屋が配置され、配置図の北側→印から階段を上がって入り口になる。修道士を修道の経験に応じてブロックに分けて住まわせた。部屋ごとに構図を単純化したフレスコ画が描かれていて、フレスコの主題はブロックごとに異なる。
この僧坊は、1436年にミケロッツィが改築を始めて1441年に献堂した。コルトーナの「受胎告知の10年後。
僧坊の装飾について概略 僧坊の部屋のレイアウト
北側廊下の僧坊が正式な修道士ではない客人(メデティ家の人など)が使う、壁画の主題は聖書の物語からとった内容である。
東側が入り口から奥に向って、修道士の居住区であり 修道を通じてイエスに近づく為の部屋として使われる。壁画の主題は、キリスト伝から、 誕生/受難/復活など。
南側は修練中の修道士の部屋 フレスコ画の主題は、磔刑図が中心。
東側僧坊のフレスコについて 1440~42年
吾に触れるな、キリストの埋葬、受胎告知、他フラ アンジェリコの自身の作品が1~9室 及び 廊下の二点がアンジェリコ自身の作。
他の10室は、工房の弟子が描いた。 ベノッゾ ゴッツォーリとの 共作もある。リストは上記に。(各部屋のフレスコ画の説明と写真は別の機会に投稿したい。)
ちなみに aが受胎告知、cが影の聖母、3の僧坊が受胎告知である。
Annunciation (Cell 3)1440-42
Fresco, 176 x 148 cm
Convento di San Marco, Florence
- 僧坊の個室の一つのフレスコ。 こじんまりとして単純な個室が、壁に描かれた絵によって、あたかも奥行きの深い空間が実際にあるかのよう。イリュージョニズム。空間構成が進化している。
- 構図は極端に単純化されているのは、実際の部屋の構造に調和させている。
「影の聖母子」 東廊下の壁 1443 or 1450~ Sacra Conversazione c. 1443 or 1450
Fresco, 195 x 273 cm Convento di San Marco, Florence Madonna in trono con il Bambino tra i Santi Domenico, Cosma, Damiano, Marco, Giovanni Evangelista, Tommaso, Lorenzo, Pietro martire
絵の中の柱頭の葉の模様に窓から光が射して壁にその陰が出来たように描かれているので通称「影の聖母」。
主題は、聖会話で、8人の聖人の中に、修道会の守護聖人のほかに、発注者であるメデティの守護聖人コスマとダミアヌスが含まれる。制作年は、この僧坊のフレスコ画が完成した最後に描いたという説と、彼がローマに行って帰ってきた1450年以降という説がある。
右端 頭から血が出ているドメニココ修道士は聖人ピエトロ。象徴として金網を持った聖人がラウレンティウス(Lorenzo)。
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ニコラス礼拝堂壁画 連作 (ヴァチカンの中)
Frescoes in the Cappella Niccolina of the Palazzi Pontifici in Vatican (1447-49) by Fra ANGELICO
キリスト教で最初の殉教者であるステファノとラウレンティウスの生涯を、両者の強い信仰の活動を並行に説明する流れで表現した連作画。礼拝堂内面の、祭壇側を除く3面に書かれている。2層で上がステファノ、下がラウレンテェウスの生涯。西側壁が始まりで北、東と続く。3面であるが1面を建築モチーフで区分けして、それぞれ6場面で構成。
Condemnation of St Lawrence by the Emperor Valerian 1447-49
Fresco, 271 x 235 cm
Cappella Niccolina, Palazzi Pontifici, Vatican
St Stephen Being Led to his Martyrdom 1447-49
Fresco Cappella Niccolina, Palazzi Pontifici, Vatican
ステファノは当時の処刑方式である石で殴り殺された、ラウレンテェウスは火あぶりで処刑(AC285)、そろそろ背中は焼けたから裏返しにしたらどうかと、いったとか、毅然として死んでいったことのエピソードとして・・
晩年の作品
ボスコ アイ フラーティ 祭壇画 1450
Bosco ai Frati Altarpiece c. 1450
Tempera and gold on panel, 174 x 173 cm Museo di San Marco, Florence
ローマから戻ってからの絵。聖会話型( sacra conversazione)で。中央前景には円形空間が作られている。影を正しく描き光の直進性を明確にし、マリアのマントの内の身体の彫像性など写実が進んでいる。右側の聖人には、 メデチ家の守護聖人Sts Cosmas, Damian が描かれていて、依頼主はコジモ ディ メデチと推察される。
彼の晩年は、装飾画の要請に応えるために広範囲に旅をして歩いた。
そして1455年2月18日にローマにあるサンタ マリア ソープラ ミネルバ修道院にて世を去った。同修道院には彼の姿を浮き彫りした墓が現在もある。
Tomb of Fra Angelico By ISAIA DA PISA
after 1455
Marble, life-size
Santa Maria sopra Minerva, Rome
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ウッチェロ 1430頃~1460頃迄。
Uccello (鳥)の意 動物を描くのが好きでこの渾名。活動時期 1430頃~1460頃迄。フラ・アンジェリコの活動時期と重なるが10年位ウッチェロが長い。
年代のはっきりわかる絵が少ない。基準作(=年代を記録で明確に特定できる絵)が2点のみ。
ジョン・ホークウッドの騎馬像(1436) パウロ・ウッチェロの名前がある
Funerary Monument to Sir John Hawkwood 1436
Fresco, 820 x 515 cm Duomo, Florence
大聖堂造営局(オペラ・ディ・ドーモ)が委託
ジョン・ホークウッドはイギリス人で傭兵隊長でカッシーナの戦いでフィレツェのために活躍したことを称えたもの。大聖堂の壁に飾られている。
4大預言者の頭部を伴う24時間制の時計
Clock with Heads of Prophets 1443
Fresco, 470 x 470 cm Duomo, Florence
(オペラ・ディ・ドーモが委託)時計の周りに4人の預言者の頭部を装飾として描かれている。大聖堂の中の扉の装飾。
Head of Prophet 1443 Fresco、 Duomo,Florence
ウッチェロの描いた他の重要な作品(年代不詳)
サンタ・マリア・ノベッラ聖堂の付属修道院(ドミニコ会)の壁画。通称キヨストロベルデ(Chiostro Verde=緑の回廊)の壁画――1430頃から1450頃まで継続的に行われたプロジェクト。
キヨストロChiostro=修道院の中庭に面した回廊で、廊下には屋根がある。聖堂のハサード(アルベルディの設計)に向かって左側、聖堂の外に付属の修道院がある。その東側の壁、すなわち聖堂に接した側の壁の4つのカンパータ(柱間)に、4面の上下に8場面の絵――― 旧約聖書の物語がモチーフ(創世記1~9章)で 其の内、第1カンパータと第4カンパータがウッチェロ本人の書いたもの。
ノアの洪水 ウッチェロ キヨストロ・ヴェルデ ノヴェッラ聖堂
第2と第3カンパータはウッチェロ工房の弟子たちが描いた。
絵の具が単純な Terra Verde(通常下絵に使う緑の絵の具だけを使っている)のため、地味な絵である。しかも外にあるため湿気に晒されて、保存状態が悪い。(2012年現在各カンパータ取り外して順に修復中である。)
第1カンパータ 天地創造(6日間)のうちアダムを作るまでのモチーフ
Genesis cycle (detail) 1432-36 Fresco
Green Cloister, Santa Maria Novella, Florence (光と闇の分離、空と水の分離、陸と海と植物の創造、 天体(太陽、月、星)の創造、鳥と魚の創造、獣と人間の創造)
様式:人物はやや細く長い国際ゴシック様式を残している――幻想的雰囲気を表現。岩の表現も国際ゴシック様式。
上下の仕切りのところに騙し絵的な遠近法が使われている――マザッチョ的で、すなわち国際ゴシック様式ながらも遠近法を加えている。下には原罪をモチーフにしたもの。
マゾリーノの原罪と比較 1430年頃に描かれたと思われる。
画(技)法はセッコー(フレスコではない)卵で絵の具を付着させる――もちはよくない
第2カンパータ 技法が異なる フレスコを用いる 弟子の作 カインとアベルの子供
第3カンパータ セッコー技法 弟子が担当した。 ノアの話 明暗のコントラストが強い。下の面には箱舟に動物を乗船させる絵。
第4カンパータ ウッチェロ本人が描いた。
Flood and Waters Subsiding 1447-48
Fresco, 215 x 510 cm Green Cloister, Santa Maria Novella, Florence
40日間の大洪水の絵であるが、特異な構図である。画家が自分の想像力を発揮した絵である。これ以前の中世は聖書の中身のコピーを作る(挿絵)などタイプが画一的であった。聖書の内容を議論するようになって、画家の想像力を活かす道が開かれた。
3つの不思議(といわれる)
箱舟が二艘描かれている
人々(民)が生きていて争いをしている 注:マゾッティ(帽子の一種)
絵の主役がノア以外の人である点などが極めて独創的である。
1970年代の解釈では、 描かれた当時の社会情勢を入れ込んでいる。教会(舟に例えた)による救いとダブらせた寓意である。
1439年の出来事として、コンスタンチノポリス(東ローマ)とローマ(西ローマ)教会の合議がある。11Cに分離していたものを再度併せようという動きがあった。東ローマ帝国がイスラムの脅威に晒されて助けを求めたヨセフスと西のエウゲニウス4世の両者がフィレンツェで会合した歴史的事象を暗示して、異教徒との戦いを描いた。したがって、絵の主役はエウゲニウス4世、ノアの位置に居るのがヨセフス。
エウゲニウス4世の亡くなった1447年の制作と推定される。
箱舟の奥行きは遠近法で、風に吹き流される木の枝や葉にリアリティがある。人の描き方、死人を描き入れるなど新しい動きがある。
Uccello 《サン・ロマーノの戦い》・・代表作 製作年不詳
三部作(横長3枚)で、メディチ家が戦勝記念としてUccelloに発注したもので、3部が並べてあったものを同時に発見した。
a.《ニッコロ・ダ・トレンティーノ》;;ロンドン・ナショナルギャラリー
b.《ベルナルディーノ・デラ・チャルダ》;;フィレンツェ・ウフィツ
c.《ミケレット・ダ・コティニョーラ》;; パリ・ルーブル
並び方・・・但し論議あり・・・ 画中の槍の方向性などから判断 下記
a | b | c |
傭兵隊長たちの功績を称える絵である。
制作年は、1435頃、1450頃の2説あり、後者が多数、前者の意見は「ジョンホークウッドの騎馬像」との類似性を指摘している。
現在3枚が、それぞれ3カ国に分離して保存されている。保存状態からそれぞれの国の保存に対する考え方の違いが見えてくる。イギリス;よく洗う、フランス;極力修復しないで変色などもまた美である。イタリア;両者の中間的な考え。
サン・ロマーノの戦いとは、フィレンツェがシエナ(後ろにミラノが支援)との戦いに勝利した。15世紀前半の戦いである。
聖書の話やグローバルに知れている話ではなく、現実の出来事を題材にした。同時代の事件を絵にしたもので前例がない。自由に書ける利点が生きて、自分らしさが発揮された。
重視された点
- ①線遠近法による(視点を集中させる)
- ②視点を1点に統一していない
- ③前景と後景で別のニュアンスにしている
a.《ニッコロ・ダ・トレンティーノ》の絵について解説
前景について 地面に何も描いていない(すっきりさせている)
建築モチーフを以外の対象に線遠近法を用いた。死者、人物表現に線遠近法を用いた、・・短縮法という。
b.《ベルナルディーノ・デラ・チャルダ》の絵の解説
馬の描き方がやや抽象化されているように見える。構図上左から右へ、入場→退場の意味を表現している。
背景にうさぎ狩ののどかな風景に描き、前景と背景で表現の分離がなされている。
馬の描き方がカスターニョの騎馬像(1456)と比較すると単純化されている。リアリズムをあまり求めていなかったと思われるカスターニョとの考え方の相違点である。
c.《ミケレット・ダ・コティニョーラ》の絵の解説
兵士たちが履いているタイツの色彩が多様である、槍の描き方が一様で装飾的な要素が強い、馬と騎乗する将たちの図像が統一化されているなど、
対象を単純化したり、繰り返したり、並べたりと画家が自らの意図を強く表現しようという意志がうかがえる。
3枚の絵を通してウッチェロの特徴として
非現実と現実を融合し、対象から自分が消化したものを描く。この姿勢は、20Cの芸術の考え方と似通う点がある。
逆にカスターニョの影響で写実性が出たという説もある。
バザーリとウッチェロは遠近法に熱心であった。デザイン力、スケッチ力に劣るという評もあるが、キュービズム以降見直せれて評価されている
カスターニョ Andrea del Castagno, 1421年頃 – 1457年
・ドーモの《騎馬像》でウッチェロのそれと比較–
Monument to Niccolò da Tolentino 1456
Fresco Duomo, Florence
デッサンがしっかりしていて写実性が明確、生き生きと描かれ馬の命が感じられる。
・《キリスト十字架磔の像》(20歳の頃)サンタ・マリア・ヌオーバ修道院(当時;現在病院)
Crucifixion and Saints 1440-41
Fresco Ospedale Santa Maria Nuova, Florence
徹底した写実主義である。マザッチョの正統な継承者といわれる所以である。
・《最後の晩餐》サンタ・アポローニャ(聖アポリナリス)
Last Supper 1447
Fresco, 453 x 975 cm Sant’Apollonia, Florence
修道院の奥の壁画‘で47に依頼。
この壁画の影響で、「修道院の食堂の奥に最後の晩餐を描く」ことが盛んになる。ギルランダイオ(サンマルコ、オニサンテ)レオナルド(ミラノ)など。
その先駆として、サンタクローチェ修道院(タテオ・カッティ;1330)があるが主張が不明確。
カスターニョの主張は、イリュージョイズムである。キリストと12使徒たちがまるでそこに共に居いるかのように、晩餐をした場面を再現されたように描いた。
「最後の晩餐」ではキリストとヨハネ、ペテロ、ユダの位置や表情が重要。ペテロがヨハネに裏切るものについてキリストに問いただすように頼むと、キリストは、自分がパンを差し出す相手がユダ、とヨハネに伝える。
遠近法の採用、窓をつけて右から光を入れて明暗をつけている。
人物表現と建築モチーフにも光を入れている(マザッチョの方式)
絵に遊びを入れているすなわち、ユダの後ろの大理石の壁がそこだけ模様が特殊でユダを指し示しているかのよう。またユダには後輪を描いていない。
マザッチョからレオナルドへつなぐる役割を、カスターニョがしている
ギオルギュースと龍・・・1450~1460――
伝説の聖人(聖書にはない)東ローマのカッパドキアの風景。王女が街を表し、龍が異教徒を象徴している。
初期ルネサンスの絵画の展開(その二) 終わり
(その三)へと続く。ピエロ デッラ フランチェスコ を観る。