初期ルネサンス絵画の展開(その四)

初期ルネサンス絵画の展開(その四)

フィリッポ・リッピ 1406年~1469年 について

この投稿ではリッピについて鑑賞する。まずは初期の作品を見る。実は、リッピは年代が明確な作品が少なく、時代区分は難しい面がある。

リッピは、カルミネ修道院の近くの肉屋の子として生まれたが、早くに父親に死に別れ、預けられた先の育ての親からも疎んじられ、15歳(1421年)になった時に、サンタマリア デル カルミネ修道院に入れられた。この修道院では、丁度マザッチョがブランカッチ礼拝堂の壁画連作「ペテロの伝記」を制作中の期間と一致することから、彼はマザッチョの絵を描くところを見て画家としての意欲を持ったのではないかと思われている。

フラ アンジェリコがドメニコ会の敬虔な修道士であったのに比べて、リッピはカルミネ会の修道士ではあったが、当初からカルミネ会の規律には厳密に従うような性格ではなかった。例えば、自分が院長を務める尼僧修道院の修道女 ルクリティア ブウティ(Lucrezia Buti)と恋愛沙汰を起こした上、パトロンであるフィレンツエの権力者コジモ・デ・メディチのとりなしで許されて結婚をし、二人の子をもうけている。その一人がやはりルネサンスの画家フィリッピ―ノ リッピである。

(フィリッポ・リッピ年譜概略)

1452年にプラート大聖堂の壁画を描いているのでこれを軸に区分を試みる

1430(画家組合に登録)  ~~1452--前期

1452(プラート大聖堂の壁画)~~1469--後期

 

  • 1421年に15歳で、カルメル会の修道士になる。  :注ヴァザーリの列伝では別の記載があるが最近の研究では間違いとされている。

(1430年から数年間パドーバに滞在したが作品がない 約7年間)

  • 1437年 「コルネート タルクイニアの聖母」基準作 年代が明確
  • 1438c  「バルバドーリ祭壇画」パリ ルーブル ‘37/3に依頼された
  • 1445c? 「受胎告知」 サンロレンツォ聖堂  時期が不明確
  • 1447   「聖母戴冠」ウフィツィ マリンギが41年に依頼47年に完成
  • 1450c  「聖母と諸聖人」 ウフィツィ         コジモ・ディメディチが1445にサンタクローチェ聖堂のために依頼

 

初期の作品とは?        1430年代には2点の聖母がある。

「謙譲の聖母」ミラノ スフォルツァ城 美術館 Madonna of Humility (Trivulzio Madonna)   c. 1430
Panel         Castello Sforzesco, Milan

「玉座の聖母」 エンポリ コレッジャータ美術館Madonna and Child Enthroned with Saints   c. 1430
Panel, 44 x 34 cm   Museo della Collegiata, Empoli

1430年から数年間パドバに滞在したが、約7年間作品がない。記録もない。多分北部イタリアでフランドルの絵画をじっくり学んだと思われている。そして基準作となるのが7年後のタルクイニアである。

1437年 「コルネート タルクイニアの聖母」基準作 年代が明確 Madonna with Child (Tarquinia Madonna)  1437
Tempera on panel, 151 x 66 cm   Galleria Nazionale d’Arte Antica, Rome

この絵で参照にした画家は、マザッチョの様式とロレンツォ・モナコの様式、これにさらにこの二人を融合したフラ・アンジェリコの様式をミックスし、かつフランドルの影響も見られる.

(マザッチョからリッピのタルクイニア への様式の流れ図)

「コルネート タルクイニアの聖母」はなにを基準にしたかが分かる重要な作品

1438c  「バルバドーリ祭壇画」  パリ ルーブル ‘37/3に依頼された

  Madonna and Child with St Fredianus and St Augustine (the Barbadori Altarpiece     1437-38  Panel, 208 x 244 cm      Muse du Louvre, Paris

1445c? 「受胎告知」 サンロレンツォ聖堂  時期が不明確Annunciation    c. 1445
Wood, 175 x 183 cm      San Lorenzo, Florence

1447   「聖母戴冠」 ウフィツィ  マリンギが41年に依頼47年に完成

 Coronation of the Virgin        1441-47
Tempera on wood, 200 x 287 cm    Galleria degli Uffizi, Florence1450c  

「聖母と諸聖人」 ウフィツィ  Madonna Enthroned with Saints    c. 1445
Tempera on wood, 196 x 196 cm      Galleria degli Uffizi, Florence

コジモ・ディメディチが1445にサンタクローチェ聖堂のために依頼

 

各絵の鑑賞と解説

「コルネート タルクイニアの聖母」

バルベリーニ美術館 国立絵画館  G.N. D'Arte Antica

バルベリーニ広場のバルベリーニ宮殿内に展示されている。フィレンツェ司教ジョバンニ・ヴィテレスキが依頼。サンタ マリア バルベリディ聖堂に有った。

絵の中に年代が記述されている。 この場合は記述を事実と見てよい。彼は、この作品から様式がまったく違ってきている。この前の作品について見てみる。

「カルメル会戒律の承認」

Confirmation of the Carmelite Rule (detail)   c. 1432
Fresco   Museo di Santa Maria del Carmine, Florence

 

左 エンポリー コレジャッタ美術館 カルベ教区修道院と比較

マザッチョ的である。マントの下の身体の彫像性などピサの多翼祭壇画の聖母子のものと近い。手前左上から差し込む光の様子もマザッチョ的である。

 Madonna and Child Enthroned with Saints c. 1430
Panel, 44 x 34 cm  Museo della Collegiata, Empoli

マザッチョの「サンジョベナーレ祭壇画」の聖母子と比較してみる。

San Giovenale Triptych
1422  By Masaccio
Panel, 110 x 65 cm (central), 88 x 44 cm (each wing)
San Pietro, Cascia di Reggello (Florence)

 

上記2作は当にマザッチョに非常に近い。マザッチョのデビュー作という説もあった。

タルクイニアは、これらと比較すると、様式がまったく違っていて これはリッピではないとも言われたほどであった。

人体表現における肉付けや二人の天使の置き方、光の差し方の構図など似た表現がある。

ブランカッチで「貢の銭」などを制作中のマザッチョを間近で見ていたかあるいは手伝っていた。しかし疑問もある、何故、「ピサの多翼祭壇画」は参照にしていないか?時期的には見たはずなのに・・

この前の時期7年間にパドーバで学んだものがある。この間に飛躍的な進化を遂げた。マザッチョから学べないものを学んだ。マザッチョ以外の要素を見つけている。

ではまず、マザッチョ的なものについて見よう。

  • ①しっかりした彫塑性
  • ②キリストの肉付き・元気のよさの表現

フラ・アンジェリコの基準作 リナイオーリの祭壇画と比較する。

聖母子の捕らえ方

  • 人間性をより重視したとらえ方(マザッチョ)
  • 理想化した神聖をより強くしたとらえ方(フラ・アンジェリコ)

リッピは、マザッチョ的な捕らえ方であり、世俗に居る母と子らしさが出ている。一方マリアの表現は、フラ・アンジェリコに近いとらえ方になっている。

母子二人の関係に、マザッチョは、強い絆を表現しているが、これを取り入れている。

衣の表現の仕方では、内側の体の立体感を大切にしている、しかし布の質感はマザッチョよりも硬い。

空間表現では、3次元空間を作っている。玉座の半円形及び前にスペースを置き見るものに迫る効果、後ろの椅子の半円形で奥行き感を作る、凹凸の効果を活用。円による凹凸の感じはマザッチョの創案であり、これを学び取っている。

背景はマザッチョと異なる・・金地背景ではない。右にベッドを置きマリアの寝室を表現、左には奥にアパートの窓が見え、さらに左の窓からはトスカーナの田園風景が描かれている。すなわちこれは現実的空間を表現しようとしたものである。

マリアの表現を見ると世俗化の狙いがうかがえる。後輪が取り除かれている、身につけているものを描いて世俗性を表現した。ベールをとめる道具や指につけた装飾品で人間としてのマリアを表現した。

祭壇画であり、司教からの依頼なのに何故世俗化なのか・・彼の新しい時代への挑戦と見たい。

フランドル絵画 ファン エイクの「ブルージュの聖母」を比較

The Madonna with Canon van der Paele   1436
Oil on wood, 122 x 157 cm    Groeninge Museum, Bruges

サークラ・コンベルサチオーネ(聖会話)の構図。人間表現の質感、 発注者を画面に入れるなど、類似点がある。

パドーバでフランドルの作品を学んだ。ファン アイクの以前であろう。聖母子を置く場所に世俗空間を描く。装飾のブローチや背景の書き方にフランドルの影響。ガラスの質感表現、金属の質感表現は、フランドル特有でイタリアにはなかったもの。衣の表現はフランドルの方が固い。裾の床への余らせ方やその模様もフランドル風。マザッチョにない要素をフランドルに見る。

国際ゴシック様式の特徴である威厳は出ていない。

1438c  「バルバドーリ祭壇画」を見る

サンスピリット教会 カルミネ修道院の近くアウグスティネス会が37年に発注した。

過去とは違うものを描く意欲が出ている作品である。立っている聖母子、後輪は薄いがある、金地背景ではないなど。

フラ・アンジェリコ 40年 アンナレーナと比較  

Annalena Altarpiece   c. 1440 By Angelico Fra.
Tempera and gold on panel, 200 x 235 cm Museo di San Marco, Florence

聖会話様式。フラ・アンジェリコより早くに、フランドル的になっている。

30年代の進んだ絵である。リッピはフランドルに着目したもっとも早い画家である。構図が横長に広がる。

工夫点は何か

建築モチーフに気遣いがある、コルネートからさらに発展させようとの意欲がある。玉座を三段にして、前景を下段に置き。中段にマリア、上段に天使を配置。背景に実際の壁を使い高さの実感を出し横の広がりに仕切りを入れるなど。

遠近法の使い方がマザッチョと差がある。マザッチョは厳格に描くがリッピは不自然な使い方をしている、本を中心で開いたような描き方である。「聖母戴冠」と並べて比較 前側に広い空間を構成した。

40年代の受胎告知

1445c? 「受胎告知」サンロレンツォ聖堂 を見る 

Annunciation  c. 1445
Wood, 175 x 183 cm  San Lorenzo, Florence

サンロレンツォ聖堂のthe Martelli Chapel に描かれた絵で、今も描いた時と同じ礼拝堂に祀られている。この場所はブルネルスキーが設計した空間であり、リッピはかなりこの空間構成を意識したのではないか。線遠近法による奥行を深くとろうとしている。

中央の柱から右と左で人体表現が違う、マリアとガブリエルを同じ右側の空間に描いている。ガブリエルが下から見上げるようにガラスの器から引き抜いたゆりの花をマリアにかざしている。だまし絵(trompe l’oeil)の手法がうかがえる。マリアの表現が上手い。

ガラスの器と光の表し方がフランドル的である。

柱の左側、それ以前の受胎告知では描かれない場面が描かれている。天使ミカエレの顔がおかしい、バルトロメオ(ナイフ)などの表現が幼稚に感じる。

1447  「聖母戴冠」を見る ウフィツイ サンタンブロージュ礼拝堂祭壇用

「聖母戴冠」の主題について

「聖母戴冠」の主題は聖書外典に基づいているが、13世紀にヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』によって広く普及した。この挿話は、時間的な順序としては「聖母被昇天」に続くものであり、天上で聖母がキリストによって迎えられ、立ち並ぶ多くの福者たちの上に就けられる。

リッピは、前景に多くの聖人や要人を描いて夫々に名前が書いてある。一番目立つ、殉教したエウスタキウスと妻コンビウスとその子供二人(悲劇的な人生の家族)

マリアに冠を被せるのがイエスではなく神そのものである。守護聖人として、アンブロージュ (この町)とヨハネ(フィレンツェ)を両側にどっしりと配置している。

右下にリッピの自画像?(マリンギの息子との説もある){この絵はわたしにより完成した}と書かれた紐。

後輪がごく薄いのは、聖人より世俗人として描きたい画家の意志。

構図的には、空間の出し方が本を開いたような遠近法の玉座。しかし段の高さの違いで玉座に居る父なる神とマリアへ高まり感を持たせて見るものをいざなっている。主題に沿って非常に多くの登場人物を配しているが、特に中央の人物たちの衣の色彩は豊かに描かれていてまとまりを持たせている。その繊細な描き方と画面を漂う淡い光の表現は独特である。

14年ほど前にフラアンジェリコが描いた同主題の絵を参考に見ることにする。Coronation of the Virgin  1434-35 By  Angelico Fra.
Tempera on panel, 213 x 211 cm  Muse du Louvre, Paris

作品の構図は、階段の下で跪く聖人たちの集まりを底辺として。階段状に上に向かい頂点の天井の玉座へといざなう形で組み立てられている点で同じである。ただ、線遠近法の使い方はマザッチョを踏襲できているのはアンジェリコの方で中央マグダラのマリアが持つ香炉の上に消失点をおいて正確に描かれているのに対し、リッピは本を見開いたような形状になっている。聖人や要人のそれぞれの彫像性においては、リッピの方がより現実性を表現し、写実という点で進んでいる。色彩はアンジェリコがモナコを踏襲した絢爛さの色彩感であるのに対して、リッピはあくまでも世俗性に拘っている。

 

1450c  「聖母と諸聖人」 ウフィツィ

Madonna Enthroned with Saints   c. 1445
Tempera on wood, 196 x 196 cm  Galleria degli Uffizi, Florence

コジモ・ディメディチが1445にサンタクローチェ聖堂のために依頼。オレンジ色のマントをまとった聖人はメデチ家の守護聖人St Damian, St Cosmas である。一番左が聖フランシスコ。光の射し方は、写実である。人物の彫像は写実でありかつ動きを持たせようとしている。しかし、動きのポーズがかえってぎこちない印象を与えている。背景等には世俗性の描写を控えているように見えるが、マリアの幼児キリストを抱く手の表情に工夫をして神聖と母としての情愛を融合させている。

1450c  「受胎告知」 バルベリーニ美術館Annunciation with two Kneeling Donors   c. 1440
Oil on panel, 155 x 144 cm
Galleria Nazionale d’Arte Antica, Rome

サンロレンツォと比較

リッピがマザッチョの改革をカスターニョを通じて継承しつつ、モナコやフラアンジェリコの様式も取り入れ、フランドルの様式を学んだ上で世俗化等の工夫による写実への自己の様式を作っていった過程がうかがえる。

受胎告知は 他に the National Gallery in London,the Alte Pinakothek in Munich, the Uffizi in Florence, the Galleria Nazionale in Rome,  the National Gallery in Washington. がある。     The Annunciation    1435-40
Tempera on panel, 100 x 161 cm  National Gallery of Art, Washington

プラート ステェファノ大聖堂 の壁画 について

ピエロのサン フランシスコ 聖堂の壁画と同時期に制作された。

プラートは、フィレンツェに近い町。リッピが色々と問題を起こした町でもある-ルクレティア プーティと暮らし始めた町。

プラート ステファノ大聖堂 大聖堂(DOMO):その町の司教の椅子が置かれていたところ

聖ステファノを奉る サント ステファノ大聖堂

左側壁に–ステファノの物語   右側壁に–洗礼者ヨハネの物語

注:ピエロの「聖十字架物語」が配置等で特異な手法を使っているのに対し、リッピは二つの話を順序に従い描いて、一般的手法を用いている

壁画の連作を描く際の画家のやり方 について

  • テキストを読む  聖書
  •          民間に伝承・・「黄金伝説」など
  • 前例・同じ主題を以前の画家がいかに描いたかを学び取る
  • 洗礼者ヨハネ・・フィレンツェの洗礼堂 モザイクの連作15場面     1280~1320頃の制作
  • ステファノ・・フラ アンジェリコ ヴァティカン ニコラス礼拝堂         1447~1450頃の制作

これらにリッピのオリジナリティが加わっている。

リッピが50年にプラートに居住を移し、65年までかけて描いた力作である。15年近い間の画家の様式の展開がわかる連作でもある。その後のルネサンス絵画の展開に大きな影響を与えた作品である。

主題について

天井に4人の福音者たちを描く ヨハネ、マルコ ルカ マタイ 

左ルカ             右ヨハネ

右側壁 (ルネッタ)

Birth and Naming St John   1452-65
Fresco   Duomo, Prato

建築モチーフで2つの場面に分割・・「ヨハネの誕生と命名」

洗礼堂のモザイクにテキストの内容が明確に描かれている。

「ガリアの司祭 エリザベスが母《マリアの従妹》」624日が誕生日 キリストより6ヶ月早い。ガブリエルがエリザベスに懐妊を伝えるが、夫のザカリアは信じない、その結果神の怒り買ったザカリアは口が利けなくなる言葉を発することが出来なくなる。命名に当たって エリザベスはヨハネとするように頼む。ザカリアは紙に名前を書く-—偶然二人の考えが一致したため、ヨハネとする。書いたとたんに神の怒りが解けてザカリアは口が利けるようになる。

命名の場面は、奥行きが広がっている。

(中層)

St John Taking Leave of His Parents   1452-65
Fresco  Duomo, Prato

3,4,5の三つの場面が描かれる 異時間図:左から右へ、が普通だがここは逆

ヨハネは子供のときに両親に分かれて荒野の修行に出る。禁欲的な生活により、人間は生まれながらにして罪びとであると悟る場面。

説教をする場面。自覚できた人はどうするのが良いか・洗礼がよい、ヨルダン川での洗礼の図。

丁度、洗礼をしているところへ、キリストが現れた。 キリストを指してヨハネが言う「人の罪を贖う神の子羊が現れた」 イエスに洗礼を施す。天の声が聞こえる。聖霊が舞い降りる。12歳から30歳の頃の出来事。

(下層)

Herod’s Banquet   1452-65  Fresco  Duomo, Prato

奥の壁(正面)にはみ出している。ヘロデ王はガレリア領の王 権力を亡兄から継承するため兄の妻ヘロディアを娶る。これをヨハネが批判する。(モザイクの連作)ヘロディアが恐れて、ヨハネを牢に入れるようにヘロデに頼む。

ヨハネは弟子たちに使いを出す、キリストが本当に神の子かの確認を指示した。イエスのところにやってくる。足を直しているところを見て神の子を確信する。

宴席ではヘロディアがヨハネを殺す機会を狙っている。娘サロメ(ヘロデ王にとっては姪)が舞を披露 褒美をくれるといわれて、ヘロディアのたっての頼みのとおり、サロメはヨハネの首をほしいと言う。ヨハネの首を皿に入れてヘロディアに差し出す場面・・弟子たちが埋葬する。

The Beheading of John the Baptist  1452-65
Fresco   Duomo, Prato

手にもつ首のところで角度を変えている(隅を使う)例:マゾリーノの壁画(同主題)コモ湖の近くカステルオーネ・オローナ 1435頃がある。

左側壁 ステファノ物語ステファノの誕生(使徒行伝第7章)の場面。

St Stephen is Born and Replaced by Another Child
1452-65   Fresco   Duomo, Prato

ステファノは最初の殉教者であるキリストと同時代

子供の頃、悪魔によって攫われ、すり替えられて荒野に置き去りにされたところを動物(鹿)が育てる。女性が拾って司祭(ユリアヌス)に預ける。

(中層)左から右へ展開 Disputation in the Synagogue   1452-65
Fresco  Duomo, Prato

成長してユリアヌスに別れを告げる場面。ガリラヤに行ってキリストの仲間に入る、ペテロから助祭に任じられる・・12使徒を手伝う(貧しい人々の面倒を見る)役割。

右側 悪魔祓いをする図「サン ヘドリンのステファノ」 聖書の物語「使徒行伝」6,7章からの物語。サン ヘドリン(ユダヤ教の祭祀たちのいるところ異教徒の会堂)に行き、旧約を全部話す(良く纏められている)異教徒(パリサイ人)と討論をする。

(下層)

The F.uneral of St Stephen   1460
Fresco  Duomo, Prato

ステファノが捕らえられる、石打の刑にて殉教する。

サウロという男がその場に居る。後にキリスト信者になる。彼は、ダマスカスにおいてキリスト側に改宗――パウロになる。

フラ アンジェリコ ヴァティカン ニコラス礼拝堂の壁画と比較して見る。「7人の助祭の一人と伝えられる」が第1場面 聖書に忠実に描いている。

リッピは主題の扱いが違う。彼がアレンジを加えている理由は何か?ヨハネに重点を置いたと思われる――ヨハネの物語の構成を先に決めた。

ステファノの物語をそれに合わせている。これをタイポロジーの手法という。

殉教の話が両方ともに、正面にはみ出している。

The Martyrdom of St Stephen  1460
Fresco  Duomo, Prato

様式について

プラートのステファノ大聖堂の壁画の主題についてこれまで見てきた。長い年月をかけて制作したので様式に変化がある。

  •    天井と上層      中層      下層
  •      ‘45        ‘50c      ‘60頃

(上層)1450年前半 「受胎告知」バルベリーニ美術館 ラリオーニ家礼拝のため

(中層)《幼児期リストへの礼拝》ウフィツィ カマルドーリ修道院                             他の2点の同主題の作品

(下層)《聖母子》  ピッティ美術館

    《聖母子と二天使》 ウフィツィ  ‘55~60c

同時期に製作した作品との関連について、特徴を関連付けながら見ていく(前出のプラートの壁画の写真を振り返りながら検討)人物の描き方、建物の遠近法が下層に置いて進歩のあとが見える。

(上層) 主題のみならず様式も同じである。

建築モチーフのアンバランスはプラートと共通の特徴、奥行きが出し切れない(出そうとはしている)

線遠近法を用いるが使いこなせていないところがある。2枚貝を見開いたような傾向が見える。不合理性が排除されるに至っていない、曖昧を残している。  ピエロが合理性を徹底するのと差が有る。遠近法を使っているにも関らず奥行きが少ない感じがする。

人物が細めに描かれている。 中層の人物像と比較すると存在感が薄い。

(中層)関心が移っていく。建築モチーフに拘らず屋外の「岩」や「木」などを多用したものになる。上の方に積みあがって行くような様式になっている。

リッピは奥行きがない、空がない。奥行きを塞いでいるし、色調も遠近で同じ調子になっている。奥行きを出したいのか、あるいは出したくないのかが分かりにくい。

(下層)

この時期、再び建築モチーフに関心が戻る。(図像の要素だけではない)上層に比べ、より重厚で深い奥行きを出そうという意欲が感じ取れる。

開扇のような不自然な遠近法は相変わらず残る。建築モチーフの最前景と人物の配置が不合理のままである。

人物は(中層)より更に堂々として重々しさが出て、がっちりした印象を与える。

踊るサロメの動的表現がダイナミック、衣が舞っている線の表現が繊細に描写されている。敢えて、シンメトリーを崩していてダイナミズムが生まれている。

この頃50歳のリッピはサンタ・マルゲリータ尼僧修道院の礼拝堂付き司祭になっていた。52歳の時に自分の努める修道院の修道女と駆け落ちし一緒に暮らすようになった。禁を犯した廉で訴えられたが、コジモに救われて、画家としても活動を続けることができた。

同時代の作品を見る

1450年前半 「受胎告知」ラリオーニ家礼拝のためバルベリーニ美術館

建築モチーフのアンバランス プラートと共通の特徴

奥行きが出し切れない(出そうとはしている)

 

 

 

 

1450c半ば  「幼児キリストへの礼拝」アンナレーナ修道院 

Adoration of the Child  c. 1455
Tempera on wood, 137 x 134 cm  Galleria degli Uffizi, Florence(the Benedictine Annalena nunnery in Florence )

1455頃 キリストが生まれたばかりの瞬間を描いたもの。 羊飼いがいる。普通降誕には描かれない。 フィレンツェでは新しい図像であるが、フランドルには例がある――ロベール カンバン 作 (ディジョン美術館) 

キリストが地べたに置かれる、これは、キリストの謙虚さを象徴している。

聖母の後ろの聖女はマグダラのマリアが自らの過ちを悔いている図。左奥の人物はヒエロニムス説が有力、石で胸を叩いている――砂漠において煩悩を悔いている図。

罪を悔いる男女を併記した

 アンナレーナ修道院長を左下に描いた。プラートの壁画の(中層)の様式に近い様式である。

木を多く置いて奥行きを出そうとしている。遠近法を用いるが大きさの計算が曖昧である、統一されていない。一方、マリアの像は美しい、手の表情が良い。ベールの線表現も良く纏っている。

同時期

ウフィツィの他1点の「幼児期リストへの礼拝」Adoration of the Child with Saints c. 1463
Tempera on wood, 140 x 130 cm  Galleria degli Uffizi, Florence
この絵は1463年頃、Camaldoliの館のためにLucrezia Tornabuoni(ピエロ デ メデチの妻)から依頼された。

主題が微妙に違う 登場人物が変わっている。前の絵は キリストの降誕と羊飼いが中心である それに対してこれは、マリアとキリスト、洗礼者ヨハネ(文字の入った紙を持つ)

「ほら神の小羊が」

洗礼者ヨハネは、6ヶ月しか違わないはずだが、この絵はその点に拘らない(構わない)

神の手と聖霊が中心である キリストが輝いている。右下がヒエロニムス。マリアの図像は聖人ブリジェット(St Bridget of Sweden’s) がもとになる。祈る聖母の源となった聖人で、この時期フィレンツェで人気が有った。

岩の積み上げの図像は共通している。地平線が見えず、空がない。そのため奥行きが出し切れない。

他の1点 ベルリンの「幼児期リストへの礼拝」

Madonna in the Forest   c. 1460
Oil on panel, 127 x 116 cm   Staatliche Museen, Berlin

メディティ家 リッカルディにあった。 質がもっとも高い。ヴェネツィア派ゴーツォリ(画家)にピエロ・ディ・メデティが描かせたものと共に有った  ピエロ・ディ・メデティが依頼したものだと推測される。

その場所に、現在は、複製が置かれている。

キリストの周りの花の表現が美しい―ボッテチェリに影響した。マリアのベールは聖母の処女性を象徴、衣にキリストの足だけがかかる、ベールは透明で美しい。

ウッチェロの「夜の狩」オックスフォード 木が多く描かれる 1450頃

「聖母子」 トンド ピッティ美術館 バルトリーニ家 1455~60  Madonna with the Child and Scenes from the Life of St Anne
1452
Oil on panel, diameter 135 cm  Galleria Palatina (Palazzo Pitti), Florence

主題:背後に2つの物語

  •    マリアの両親 ヨワヒムとアンナの金門での再会
  •    アンナがマリアを生んだ図

マリアの両親 ヨワヒムとアンナの金門での再会マリアに関する話をフィレンツェの貴族の館をモチーフに描いた。

プラートと比べると(下層)に近い様式である。マリアの顔の描写が変わってきている。ヘロデの宴のサロメに近い表情描写。

修道女ルクレツィアと出逢った後、彼女を具体的なモデルにしたと思われる。  衣のひらひらした感じがサロメに似ている。

制作年代の推定は、研究者により違っている。プラートの(下層)に近いと見る。

「聖母子と二天使」

Madonna with the Child and two Angels  1465
Tempera on wood, 95 x 62 cm  Galleria degli Uffizi, Florence

聖母はルクレツィアをモデルにした。晩年(66年スポレートに行く前)の作 65年頃とされている。聖母は世俗的に描こうとしている。前々からその意志がある。しかし時代によって顔の様子は変化している。窓の前に座った構図 椅子の肘掛の渦巻き模様は共通。ウフィツィの中でもっとも質の高い作品、デッサンが残されている。背景表現がこれまでになかった空気遠近法を使う。 地平線、空を描く。新しい試みをしている。ピエロの空気遠近法と同時期のこと。

繊細な線的表現が始まる—ボッテチェリに継がれていく。(ボッテチェリはリッピの工房にいた)

髪の装飾もより大胆になっている。世俗性は継承されているし、かつ、より洗練されている。親子の関係に自身が薄かったので、その思いが出ているのかもしれない。

ミュンヘンの「聖母子」 これはリッピとは違うかも知れない 弟子に描かせた可能性あり

スポレート大聖堂 アプスの壁画  フレスコ (アプス全景)   

View of the Apse of the Cathedral 1467-69
Fresco  Cathedral, Spoleto

このフレスコ画の連作は、聖母の物語で、リッピ 最晩年の作品であり生涯で最も意欲的な作品と言われている。作品の完成を間近にしてリッピは死を迎えたが、まだ若年(16,7歳)の息子フィリッピ―ノが引き継いで数ヶ月後の69年12月には完成させている。

上部の半円球部分と下部の壁面の2層で構成されていて、上部は「聖母戴冠」下部は中央に「マリアの死」、左に受胎告知、右に「マリアの誕生」という4場面御構成である。

受胎告知                マリアの誕生

 Death of the Virgin    1467-69
Fresco   Duomo, Spoleto

Coronation of the Virgin  1467-69
Fresco  Duomo, Spoleto

「聖母戴冠」(中央部)

プラートの連作とスポレートの連作でリッピが使った絵の具の豪華さと種類の多さを見ただけでも、彼の最晩年において更に大きく才能が発揮されていることが推察できる。

リッピは晩年になって力強さが出る 彼からダヴィンチへ継がれていく。

 

 

リッピを終了したところで、初期ルネサンスの絵画の展開は、(その一)から(その四)まで完了する。

次は いよいよ 盛期ルネサンスの絵画の展開 に進む。   了

KuniG について

日々見聞きする多くの事柄から自己流の取捨選択により、これまた独善的に普遍性のあると思う事柄に焦点を当てて記録してゆきたい。 当面は、イタリア ルネッサンス 絵画にテーマを絞り、絵の鑑賞とそのために伴う旅日記を記録しよう。先々には日本に戻し、仏像の鑑賞までは広げたいと思う。
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